まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族で「学校のない生活」を模索中

東京シューレの方の話を聞いてきたよ!<前編>

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写真:今回行ってきた「第14回 こども笑顔ミーティング」の様子。誘ってくれたHさん、ありがとう!

 

 

この週末、6月25日(日)は長男とふたりで上京していました。

この講演会に参加したかったからです。

 

 

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わたしひとりで行くつもりだったのですが、長男も東京のお友だちに会いたい! というので、いっしょに出かけて、講演会の間はお友だちの家で預かってもらうことにしました。

 

 

「こども笑顔ミーティング」は大田区で八百屋「だんだん」と子ども食堂をやっていらっしゃる近藤博子さんが代表をつとめておられる、子どもを支える活動をしているグループです。

近藤さんは子ども食堂でかなり有名な方のようですね。

 

 

今回は、フリースクールで30年以上の実績がある「東京シューレ」スタッフの野村芳美さんがお話しになるということで、ぜひ行ってみたいと思ったのでした。

 

 

結論からいうと……本当に行ってよかった!

 

 

・まず、不登校について全体的なお話が聞けたこと。

・ポイントを押さえて聞けたこと。

・さらに、意見交換で考察が深まったこと。

 

 

なにより、当事者でなくとも、不登校に関心を持って、真剣に考えている人がいることがうれしかったです。

(いつもより参加者が多かったようですよ)

 

 

お話しくださった野村さんは50代で、事実婚のパートナーと22歳と15歳のお子さんと暮らしています。お子さんは2人ともシューレの会員で、野村さんもシューレのスタッフとなって26年のベテランだそうです。

 

 

 

不登校は「治す」対象だった!?

 

 

野村さんが初めてシューレに足を踏み入れたとき、子どもたちがとてもエネルギッシュなのが印象的だったそうです。

 

 

でもそれはシューレだからで、多くの不登校の当事者は苦しんでいることを後から知るようになります。

 

 

子どもの不登校から、親子心中を考えるほど思い詰める方も少なくないそうです特に、地方でその傾向が強いとか。

 

 

では、その「思い詰める」気持ちがどこから来るかというと、不登校に対する社会の捉え方が「否定的」だから。

 

 

不登校は1970年代後半から増え始めました。

高学歴化から競争や管理に重きをおいた教育に拍車がかかり、学校に通うのが苦しく感じる子どもが増えていきます。

 

 

当時は「個人の責任」とされていて「学校恐怖症」などと呼ばれていたようですね。

だから「病気」「怠け」「弱い子」「子育ての失敗」と烙印を押され、親も子も委縮して絶望する……ということが多かったようです。

 

 

不登校は「治す」対象とみなされていたのです。

 

 

また、ひとつ注意したいのは、不登校当事者の人数です。

 

 

今は文科省のデータとしては12万人前後で推移していますが、これは不登校の定義に当てはまっている子どもだけです。

「年間30日以上欠席している」というアレです。

フリースクール保健室登校は出席にカウントされるので、対象外です。

 

 

だから、実際はもっと多いのではないかというのが専門家の見立てです。

なんだか、保育園の待機児童数の話と似ていますよね。

 

 

 

当事者だって黙っちゃいないよ

 

 

不登校は、本当に怠けとか病気なのか?」と考えるようになった親たちが、学校に無理矢理戻すのではなく、子どもを受け止める方向に舵を切り、親の会を作って勉強・情報交換をはじめます。

 

 

また、当事者である子どもたちも声をあげはじめます。

 

 

行政側が行うアンケートは学校が回答しています。

不登校の原因を「病気」「怠け」など子ども本人に帰していることに違和感を感じた当事者たちが、1989年に「登校拒否の子どもによる登校拒否アンケート」を実施します。

 

 

1998年には当事者主体のメディア不登校新聞」が創刊されます。

 

 

そして2009年には不登校の子どもの権利宣言」が起草されます。

 

 

これは日本も批准している「子どもの権利条約」がヒントになっているようです。

子どもの権利条約」に関わった大人たちから「君たちは学校に行けるだけ幸せだ」と言われたことに違和感をおぼえた当事者たちが、「だったら不登校の子どもの権利をうたったものがあってもいいはず」と考えたそうです。

 

 

夏休み中、これを作るために費やし、法律的にも問題がないかどうか、専門家にも意見をもとめる念の入れようだったそうです。

(この権利宣言が、のちの「教育機会確保法」にもつながったそうですよ)

 

 

 

国や行政はカメの歩み?

 

 

1983年に「子どもの健全育成をめぐる諸問題」で「子どもの性格が問題、親の養育が問題」として登校拒否が扱われたそうです。

 

 

しかし、不登校の原因が見事にばらばらで、正反対の要素でも起きることがわかってきて、「登校拒否は誰にでも起こりうる」という見解に変わっていきます。

 

 

2000年代には、「ただ見守るのではなく働きかけよう」という動きが出てきたことで揺り戻しもあったようです。

 

働きかけるというのは「学校に戻す」「フリースクールも出席とカウントする」ということです。

 

学校に戻る、フリースクールに通う以外の選択肢が排除される傾向になり、当事者で苦しい思いをした人がかなりいたと思われます。

 

 

ちなみに、不登校の子どもの居場所として圧倒的に多いのは「家庭」です。フリースクールや中間教室などに通っている子はとても少ないのです。

 

 

2016年になってようやく不登校を問題行動と判断してはならない」「学校に登校するという結果のみを目標とするのではない」という見解が示されました。

(昨年ですよ、昨年!)

 

 

フリースクールについては、法律こそ未整備なものの、学校の重要なオルタナティブとして位置づけられるようになってきました。

さらに「教育機会確保法」により、不登校児童生徒の休養の必要性」が認められるところまで来ています。

 

 

 

何十年も変わらない悩み

 

 

行政の歩みが遅いか早いかは見解の分かれるところですが、当事者や関係者となって初めて東京シューレに相談に訪れる人の悩みは、もう何十年も変わらない、と野村さんは言います。

 

 

不登校への潜在的な恐怖心、忌避感はここまで強いということですね。

 

 

東京シューレは理念ありきではなく、子どもと試行錯誤しながら作ってきたそうです。

 

そこでたどり着いたのが

 

・安心できる居場所である

・やりたいことを応援する

・自分で決める、自分が決める

・違いを尊重する

 

の4点だそうです。

 

 

学校によくある校訓や目標とはずいぶん違いますよね。

 

 

このあと、東京シューレを紹介する映像を見て、意見交換に移りました。

 

(つづく)