東京シューレの方の話を聞いてきたよ!<後編>
写真:帰りの新幹線「あさま」号から見た東京の夕景。こんなにきれいな夕日は久しぶり。
長らくお付き合いいただいて、ありがとうございます。
これで「東京シューレの方の話を聞いてきたよ!」シリーズは終わります。
――不登校の原因に変化はありますか?
野村さんの実感では、あまり変化はないそうです。
ただ、いじめが原因の場合、「ネットがある分、今のほうがつらいかもしれない」ということでした。
たしかに、ネット空間にはいつまでも残るし、加害が見えにくくなる、生身を伴わないからより苛酷になりえます。
スマホやPCを所有する年齢以降のいじめは、本当に難しいですね。
ただ、そこを保護者がきっちり押さえて、いじめを白日の下にさらして解決したという実例を聞いたことがあります。
その保護者は、いじめになる前から、子どもと仲のいい子が家にくると、LINEでつながるなどしていたそうで、そのことがいじめ解決のキーになったようですね。
新しい原因として、「発達障害」が2000年代から増えてきたそうです。
ただ、発達障害のお子さんをシューレで見ていると、「学校が合わないんだね」と感じることはあっても、特にどうということはない感じだとか。
シューレの場合、みんなが好きなことをやっているので、相対的に、発達障害のお子さんの振る舞いが目立たないのではないかと、野村さんは分析されていました。
ここにも、大きなヒントがあるとわたしは感じました。
――運営において経済的な側面はどうされていますか?
フリースクールは無償ではないので、通わせる側としては、お金がかかります。
東京シューレは月々4万5千円の会費がかかるそうです。
ただ、この会費は30年値上げしていないとか。
なにより、経済的な理由で入れないということは極力なくしたいという思いがあり、「まずはご相談ください」ということです。
過去には、生活保護世帯のお子さんの入会を、ソーシャルワーカーと連携して実現させたこともあったそうです。
運営では、金銭面のことを担当している委員会があり、その中で適宜話し合っているそうです。
公的な援助があれば、フリースクール無償化も夢ではありません。
義務教育は無償(まあ、実際はそうではないですが)と憲法でもうたっているのですから、学校以外の場の学びの無償もぜひ保障してほしいですね。
――「どうしても学校に通わせたい」という親への対応は。
まず、親御さんの話をよく聞くそうです。
気持ちを受け止めることが第一、ということですね。
その上で、「どうして学校に通わせないといけない、と思うんですか?」というふうに、丁寧に解きほぐしていきます。
それでも、「どうしても学校に行かせる」というケースはあるのだとか。
残念ですが、それは仕方のないことです。
シューレのスタッフに権限はないし、根っこは「学校に行かせなければならない」と思っている親御さんの問題ですから。
ただ、言うまでもなく、お子さんにはきつい状況になります。
もどかしいですね。
――義務教育課程の場合、卒業はどうなるのですか?
一日も通わなかったとしても、今は、ほとんどの学校で卒業はさせるそうです。
ただ、卒業させるかどうかは校長の裁量。
ときどき、「一日も来ていないのに卒業させるわけにはいかない」という先生もいるのだとか。
そういう場合は、シューレのスタッフが同席するなどして話し合いを持つことで、たいていの場合は解決するそうです。
弁護士に同席してもらうと、急に態度が変わったなんていう話も。
……野村さんの22歳のお子さんは、出生時に仮死状態になり、脳性麻痺の状態で成長されたそうです。
そのことで、野村さんが思い詰めていた時期もあったそうです。
公園で、わが子と同じ年ごろの子が歩いているのを見て、「うちの子はどうして歩けないんだろう」と思ってしまう……。
「だから、不登校のお子さんを抱えた保護者の方の気持ちがよくわかるのです」とおっしゃいます。
いちばん思い詰めていたときに、「ひとりで育てなくていいんじゃない? みんなで育てればいいよ」と言われたことで、ずいぶん気持ちが楽になったそうです。
不登校も同じ。
いや、子育て全部がそうじゃないかな。
ひとりで、家族の中でなんとかしようとするから、しんどくなる。
いろんな人の手や胸を借りていけるといいですよね。
最後、「不登校は生き方」とおっしゃっていたのが印象的でした。
「不登校」という言い方は、通学を前提としていて、それができない(不)という意味合いだから、何かもっと違う言葉はないか、と考え続けていますとおしゃっていました。
わたしもそう思います。
「脱学校」もいいんですが、そこまで根本的なところまでいかず、もうちょっとフラットなニュアンスの――学校もそれ以外の学びもシームレスになるような――言葉がほしいと思います。
山あり谷ありなのは、学校に通っていても通っていなくても同じ。
「これがわたしの(ぼくの)生き方」と胸を張りたいですね。
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いっしょに上京した長男は、大好きな友だちとたっぷり遊んで、帰りはほっぺたが赤くなっていました。
待ち合わせした駅の構内で、友だちと追っかけっこをしていたから無理もありません。
写真:ほどほどにしとけよー。
いろんな人に支えられている。
勇気づけられている。
そんなことを感じた一日でした。