学校が子どもに対応しきれていない現象
4/17の『信濃毎日新聞』を読んでいたら、こんなコラムを発見しました。
教育研究家の古山明男さんが書かれたものです。
昨日ポストした、不登校の「不適応型」で脱線して書いた「そもそも既存の学校(公教育)の環境や仕組みがどうなのよ?」に対する、ひとつの回答として読めるコラムでした。
多動のお子さんについて、古山さんが丁寧に観察して感じたこと、気づいたことを描いています。
学校などの集団生活においては、そこの枠をはみ出す子どもは「困った子」とされがちです。
最近よく「困った子ではなく、困っている子」という言い方をしますが、子ども本人が困っているかどうかはまた別の話で、はっきりしているのは、困っているのは言うことを聞かせたい側(大人)であるということです。
その、困っている大人の考え方を変えたほうが手っ取り早いし合理的じゃね? というコペルニクス的転回といいますか、非常に参考になりました。
憲法で教育の義務(大人の義務ね)はうたわれているわけだし、教育を受ける権利も誰もが等しく有しているわけですから、やっぱり、学校教育こそユニバーサルデザイン化が必要ですよ。