「ブルースカイ親の会」に行ってきたよ
写真:「ブルースカイ」の活動場所である、長野市の障害者福祉センター。調理室や体育館もあります。
不登校の当事者、保護者でつくる会「ブルースカイ(登校拒否を考える親と子の会)」に行ってきました。
「ブルースカイ」は平成2年設立ですから、もう27年活動を続けていることになります。
長野県内では古株なのではないでしょうか。
全国的な不登校ネットワークともつながりがあって、会報を出したり、イベントをしたり、積極的に活動を続けている印象です。
すでにお子さんが成人されている方も多く、たくさんの経験と知恵が蓄積している団体です。
とある方が、「ブルースカイ」で相談したところ、話をよく聞いてくれて、すぐに人を紹介してくれて本当に助かったと言っていました。
長野県で不登校支援の団体を調べていたときに、「ブルースカイ」の名前は真っ先に目にしていました。
そこで、一度行ってみたいと思っていたのです。
今回は、新しく来ていたのはわたしともうお一人でした。
気が付けば、こんなによくよく話を聞いてくれるのだと驚くほど時間をかけて話を聞いてくれて、似たような体験をされた方のお話も聞けました。
お子さんが3人いらして、ひとりは完全に不登校、ひとりは途中少し不登校、ひとりは学校に通いとおした、というふうにまったくちがう子育てを経験された方もいました。
以前に書いたように、わたしは今、「子どもを学校に戻せるようにしてほしい」とか「いじめを解決してほしい」とは考えていません。
ただ、
・学校から村の教育委員会へあがっている報告書を開示してほしい
・なぜ、証言の食い違いをそのままにして、解決を放棄したのか
・校長の態度がなぜ途中で変わってしまったのか
・担任はこの一件をどう考えているのか
・村の教育委員会としてはどう考えているのか
を知りたいと考えています。
同じようなことを考えて、学校 → 市の教育委員会 → 県の教育委員会に粘り強く要求を続けた方は、納得のいく回答が得られるまで数年かかったそうです。
回答が出るには出るのですが、満足のいく内容ではなく押し戻す……ということを繰り返さざるを得なかったのだとか。
行政相手ですから、途中で担当者が変わってしまうことも、なかなか満足いく対応が得られなかった要因だったのかもしれません。
最終的には、当時の県の教育長がかなり話のわかる方で、そのご家庭に対して「対応が悪かった」ことを認めて謝罪する文書を出したことで決着したそうです。
ここでもやはり「人」なんですね。
仕方のないこととわかってはいますが、それにしてもここまで対応が属人的だと「賭け」ですよね。
運が悪ければ、なかなか終わりの見えない闘いを強いられることになります。
ため息が出てしまいますよ。
また、スクールソーシャルワーカー(以下、SSW)の本来の機能、仕事内容も聞くことができました。
当事者それぞれに話を聞いて、問題を明確にし、調整しながら話し合いの場を設定して解決に導く手伝いをするなど、子どもを取り巻く環境に働きかけていくのがSSWの役割だそうです。
青木村のSSWは、すべてが終わってからはじめて出てきて、しかも仕事としては「社会資源の紹介」をするだけ。
本来の業務から考えると、きわめて限定的な動きしかしていないことがわかりました。
この親の会と同時刻に、同じセンターの別のフロアで子どもだけの集まりもやっていました。
子どもも親の会に出入りして話に入ってくることがあります。
不登校の当事者(子ども)の視点には、何度もうなずかされました。
お子さんとどう接していいか悩んでいる人には、ヒントになるかもしれません。
これも、この会のいいところだなーと感じました。
不登校は、本当に人それぞれなのだ、と当たり前のことをより強く実感して帰路につきました。
ひとりひとりが、知らない道、前人未到の道を切り拓いていく。
同じ道は、ひとつもない。
そんなイメージです。
わたしの大好きな星野源さんが「知らない」という歌をつくっています。
その歌に、こういう一節があります。
終わり その先に
長く長くつづく 知らない景色
さよならはまだ言わないで
物語つづく 絶望を連れて
不登校は、まさにこれ。
学校に行けなくなって人生終わったと思っても、その先にはまだ知らない景色が続いていく。
絶望は連れていくしかないけれど、でも自分の人生という物語は続いていくんじゃないかな……と。
(この曲は、幼い子どもを亡くした友人夫婦のために作られたようです)
そんなわけで、往復3時間かけて行った甲斐がありました。
来週は教育長とSSWとの面談です。
これまでの経緯と、こちらの望んでいることを文書にまとめなければ。
ため息を鼻息にかえて、がんばるとしますか!