まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族で「学校のない生活」を模索中

「我慢」には2種類あるって知ってた?

f:id:gyogo:20171110134415j:plain

 

「我慢しなさい」

「我慢が大事だよ」

 

人間社会でつつがなく暮らしていくには、「我慢」がどうやら大事なようですね。

 

わたしもそう言われて育ちました。

我慢がちゃんとできないとまともに扱ってもらえない……くらいの強迫的なイメージを持っていました。

 

 

 

 

でも、それがあるとき覆ったのです。

 

それは、ある小説の一文でした。

 

その小説とは『小やぎのかんむり』著・市川朔久子(講談社)です。

(市川さんは、この作品で第66回(2017年)小学館児童出版文化賞を受賞されました。おめでとうございます!)

 

f:id:gyogo:20171110130254j:plain

bookclub.kodansha.co.jp

 

 

後半に

「――その我慢は、自分を生かす我慢か。それとも殺す我慢か?」

という一文が出てくるのです。

 

この小説は、中学校3年生の夏芽が主人公です。

夏芽は夏休みに田舎のお寺が開催しているサマーキャンプにやってきますが、参加者は夏芽ひとり。

屈託なく接してくれる美鈴さん、一見いい加減な和尚のタケじい、住み込みでお寺の仕事をしているまじめな穂村さんが迎えてくれます。

そこに、置手紙ともに置いていかれた5歳の雷太が転がり込んで……物語が展開していきます。

 

(ネタバレになるのであらすじはここまでにしておきますが、とてもすばらしい小説なので、よかったらぜひ読んでみてください)

 

夏芽がサマーキャンプに来たのは、抑圧的な父親と、それに従うだけの母親との生活が息苦しかったからです。

 

先の一文は、夏芽がスズメバチに刺されて夜眠れないときに、美鈴さんが冷やすための氷嚢を作りながらつぶやく言葉なのです。

美鈴さんは、この言葉を「昔、わたしがおじいちゃん(注:タケじい)に言われた言葉よ」と補足します。

 

夏芽は「我慢強い」「心が広い」と言われてきました。

でもそれは……。

 

わたしは、いったいなにを我慢していたんだろう。もうずっと。

 

夏芽の心にその思いが去来します。

 

 

わたしの心にも、この一文がふかく刺さりました。

 

それ以来、何か迷うことがあると自分の心に問うのです。

「それは、自分を生かす我慢か殺す我慢か?」

 

そして、「自分を殺す我慢だ」と感じたら、我慢しないことに決めました。

 

長男がいじめられていることをまだ知らなかったとき、長男がクラスの子からからかわれることを話してくれたことがあります。

(それがまさにいじめだったのですが……)

 

どういう話の流れだったかは覚えていないのですが、そのときもわたしは「我慢には2種類あって、自分を生かす我慢と殺す我慢があるよ。もしそれが自分を殺す我慢だったら、一切我慢する必要はないよ」と伝えました。

 

長男の心にどんなふうに残ったのか、あるいは残らなかったのかはわかりません。

でも、今もその思いは変わりません。

 

今、ここで我慢して踏ん張ることが自分を生かすと思えるのならば、無駄な我慢ではないでしょう。

 

しかし、世の中で言われる「我慢」のほとんどが、「自分を殺す我慢」ではないでしょうか?

この言葉を知ってから、わたしには世の中の「我慢」の内実が、そう見えてなりません。

 

今は確信を持って言えます。

自分を殺す我慢は、一生涯を通じて一切する必要はない、と。

 

「いま我慢しないと、まともな人間に育たなよ」

「いま我慢しないと、立派な1年生になれないよ」

「いま我慢しないと、将来いい学校に行けないよ」

「いま我慢しないと、将来まともな仕事につけないよ」

「いま我慢しないと、将来出世できないよ」

「いま我慢しないと、老後は悲惨だよ」

 

「いま我慢したら、すべてが丸く収まるから」

 

わたしたちはいつになったら、我慢しないで済む世界に行けるのだろう?

わたしたちの世界は、これほどまでに「我慢の呪い」に満ちています。

 

我慢をせずにやりたいことをやっている人を見てイラッとするのは、自分が自分に「自分を殺す我慢」を強いているからかもしれません。

 

 

――その我慢、自分を生かす我慢ですか? それとも、自分を殺す我慢ですか?

 

つらいことがあったら、この言葉をぜひ思い出してください。