まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族で「学校のない生活」を模索中

「わたしはそう思わないけど、世間はそう見るから」と言わないことに決めた

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鳥は「自由になりたい」と思いながら飛んではいません。ただ、あるがままである。自分を不自由にするのはただひとつ、自分だけです。

 

 

 

いきなり宣言します。

 

以前から「わたしはそう思わないけど、世間はそう見るから」という言い回しに、「いや、それは『わたしもそう思っている』と同義だろ?」と気付いてしまっていたわたくしgyogoです。

 

鼻の穴を膨らませてながらそう思っていたわけですが、かく言うわたくしがそう思っていた、ということが先日わかってしまったのでした。

 

 

「ゲシュタルトセラピー」という心理療法をご存知ですか?

 

通常のセラピーでは「過去」にフォーカスする場合が多いですが、ゲシュタルトセラピーは「いま・ここ」にある「からだと心」に何が起きているのかに本人が「気づく」ことにひたすら集中します。

 

分析や解釈、解説は一切しません。

 

 

最近では、漫画家の田房永子さんのコミックエッセイ『キレる私をやめたい』(竹書房)で紹介されて、にわかに注目を集めているようです。

 

「ようです」と言いながら、わたしもまさにそのひとり。

 

『キレる~』で紹介されていた百武正嗣さんの本をさっそく買い求め、長野県内でワークショップをやっていないかどうか調べてたどり着いたのが、「長野ゲシュタルト研究会」でした。

 

今年2017年1月に、ちょうど百武さんが長野にいらっしゃるというではないですか。

すぐに申し込みました。

 

はじめてのワークは、まさにセンセーションの嵐でした。

まわりの人はおろか、ファシリテーターすら見えなくなって、ひたすら自分の世界に没入する。

 

こんな体験は初めてで、なぜこんなシンプルな場でこんなことが起きるのか、本当に不思議でした。

そのときは「母との関係」をテーマにしたのですが、以降、母との間に境界線を引けた実感があり、母のことで頭がぐるぐるすることがなくなりました。

 

 

先日、3回目のワークショップに参加してきました。

「この春から夏にかけて、家族にいろんなことが起きて、今でも怒りや疎外感に支配されることがある」と話をしました。

 

長男の不登校のことに話が進みます。

 

 

 

そこでわたしは、気が付くと「マイノリティ」「世間」という言葉を何度も口にしていました。

 

ファシリテーターは「どういう意味で使っているの?」と尋ねます。

わたしは「全体の中で割合が少なくて、数が少ないという意味です」と答えましたが、「そういう一般論じゃなくて、あなたの中でどういうことを指しているの?」とさらに返してきます。

 

わたしは頭が混乱しました。

「えっ?  ただ数が少ないというだけの話なんだけどな……」

 

その後、わたしがやりたいこと・大切にしたいことに話が移りました。

 

それについて話をし、今感じていること、意識せずに出た仕草が語り掛けていることを翻訳し(「その腕はなんて言っているの?」等)……という具合に進んでいきました。

 

最後、ファシリテーターはわたしの目の前に並んだ「やりたいこと・大切にしたいこと」を指さしました。

 

そして「じゃあ、そこに『マイノリティ』という言葉を置くとしたら、どこに置く?」と尋ねます。

 

わたしは「ここには……どこにも置くところがありません」と返事をしました。

 

ワークは終了しました。

 

そのときにハッと気が付きました。

 

「わたしはまだ、世間の価値観から自由になっていない!」

 

 

・マイノリティをマイノリティと言って何が悪いのか。

・数の多寡の話で、事実を言っているだけじゃないか。

 

と考えていました。

 

でもそうではなかったんです。

 

・小学校低学年で学校に行かなくなった長男はマイノリティ。

・そしてその保護者であるわたしもマイノリティ。

……etc.

 

マイノリティというのは「事実」ではなく、「解釈」だったのです。

 

そしてその解釈の枕詞は「世間の中で」という言葉です。

 

ただ、学校に行っていない子どもがいる。

ただ、学校に行っていない子どもを持つ母親である。

 

ただそれだけのこと、でよかったのです。

 

「世間の中で」という枕詞をわざわざ付けなくてよかったのです。

 

その枕詞を付けたくなる心というのは「わたしはそうは思わないけど、世間はそう見るから」という心、つまり「わたしも世間と同じ価値観を共有している」ということだったのです。

 

移住してからこっち、わたしは「自由に生きたい」と願ってきました。

しかし、そう願うということは「今が自由じゃない」とはからずも告白していることになります。

 

なんだか可笑しくなりました。

 

わたしはもう、

 

「世間はそう見るから」

「自由に生きたい」

 

と言わないことに決めました。

 

すべてを「ただ、それだけのこと」として決断し、受け入れ、自由に生きていることを自分に許可します。