まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族でオルタナティブを模索中

1年前、小学校の保護者文集に書いたこと

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ちょうど1年ほど前でしょうか。

当時長男が通っていた青木小学校で、保護者が作る文集の原稿依頼がありました。

 

青木小学校では、1年生、4年生、6年生(だったと思う)の保護者で文集を作る慣例があるようです。

当該の学年の保護者全員に原稿を提出させて、そこから文集担当のPTA役員が何本か選んで、文集に載せます。

(残念ながらわたしの原稿はボツでした。まあ、保護者の原稿としては異形の原稿だったので致し方ありません)

 

1年生の最後、文集でボツになった原稿も合わせて、全員分の原稿を冊子にしたものを渡されました。

 

お題は特になく、子どもとの関わりや子どもの成長などを保護者の目から書いてください、という感じでした。

 

前回の、スタジオジブリ作品についての投稿で、この原稿のことを思い出しました。

この原稿でも、宮崎駿監督の言葉に触れているからです。

 

1年前のわたくし、こんなことを考えていたようですよ。

 

 

 

希望のボール

                     一年一組 寺西京子

 わが家は、今年の三月に青木村に移住してきました。同じ三月の末、わたしは十四年間勤めた会社を辞めました。

 出版社で、男性情報誌、女性誌、男性週刊誌の編集の仕事を経て、最後は児童書の編集をしていました。おもに、小学一年生から高校三年生までを対象とした読み物(物語、ノンフィクション)を編集していました。

 今の小学生は、親御さんが小学生だったときよりも本を読んでいます。「朝読」などで本に親しむ機会が多いためです。所属していた編集部のおとなりは青い鳥文庫の編集部で、ファンクラブに読書好きの子どもが集まってきます。年間二百冊、三百冊読む子はざらで、多い子で五百冊(!)も読むとか。そういうお子さんの家庭は、親御さんも読書家だったり、子どもには本を惜しみなく与えたりと、しぜんと本に親しめる環境が多いように見受けられました。

 児童書は、きびしい環境にある子どもをえがくことがあります。虐待にあっていたり、家庭が複雑であったり、本人や身近な人に何らかの障害があったり、マイノリティであったりとさまざまです。

 作る側の勝手な思いとして、現実にそういったきびしい状況に生きる子どもに届けたいという思いがいつもありました。ですが、実際にどれだけ届けることができているのか……。

 本一冊を読み切るには、慣れが必要です。また、本人が夢中になれる内容の本に出会うかどうかも大きいです。まして本は生活必需品ではありませんから、シビアな状況にいる人に手に取ってもらえる確率は、高くはないだろうと想像します。

 そもそも、それだけ強い魅力をもつ本をどれだけ作れているのか? と自分に問うと、うつむくしかありませんでした。

 そんなときに、担当していた作家の講演に出かけました。その作家は幼少期から継母に壮絶な虐待を受け、学校でもいじめを受け、文字通りどこにも居場所のない子ども時代を送っていたのでした。彼女が小学生のとき、ただひとつの楽しみだったのが、休み時間に学校の図書室に行って本を読むことだったそうです。本の世界が、つらすぎる現実からひととき、彼女を守ってくれたのでしょう。そんな彼女が長じて童話、絵本、児童文学の作家になったのでした。

 それ以来「投げるボールは数も種類も多いほうがいい」という思いを強くしました。本は子どもに投げるボール。どのボールがどの子に届くかわからない。だから、いろんなボールをなるべく多く投げたい。

 ずいぶん効率の悪い話です。たかが本一冊で人を変えようなんていう考えは、思いあがりかもしれませんね。でも、そういう力をもつ本があるのはたしかで、その人の心にジャストミートしたときに与えるインパクトは、想像をこえるものがあります。かく言うわたしも、自分の何割かは本によって育てられたと感じているので、そういう出会いの仲立ちができたらうれしい、と思って編集者になったのでした。

「風の谷のナウシカ」などを作ったスタジオジブリの宮崎駿監督は、「この世は生きるに値する」ことを伝えたくてあの数々の名作を世に送り出していたそうです。この世は、楽しいことやすてきなこともたくさんあるけれど、理不尽なこと、悲しいこと、怒りをおぼえることのほうが多いかもしれません。それでもなお、この世は生きるに値すると伝えたいのは、希望を捨てないということなのかなと思います。

 わたしはもう本を編むことはありませんが、この青木村で、ちがったかたちで〝希望のボール〟を投げられる人になれたらいいなぁ、と願っているところです。と同時に、いろんな人とのあいだで、〝希望のボール〟を投げたり受けとったりできるような関係を結べたら、とてもすてきだなと思っています。

 

 

 

自分の子どものことを正面切って書くのは、難しいです。

わたしは自分がいわゆる「いい母親」ではないという自覚があるので、人に読ませるものとして書くのはなおさら難しい。

 

それで、自分の前の仕事が児童書の編集だったのをいいことに、そこで感じたことを書くことにしました。

文集では、自分が担当した本の書影まで入れて、少しでも宣伝を……と、ちゃっかりしています。

思っていたより、わたしは編集者という仕事に愛着があったみたいです。

 

この文章、舌っ足らずなところもあるし、いいことを言おうと鼻の穴を膨らませている調子で、見ようによってはずいぶん偉そうですねー。

移住したてで、希望に満ちていて、ついでにけっこう肩に力が入っていたのも見て取れます。

状況があまりに変わってしまった今となっては、ずいぶん健気だなジブン、とも思います。

 

そんなこんなで気恥ずかしくはありますが、とはいえ、ここに書いたことに偽りはありません。

 

それは今も同じです。

 

誰とでも「希望のボール」を投げ合うことはできませんが、投げ合える相手がひとりでもいれば幸せじゃないか、と今は思うのです。