まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族で「学校のない生活」を模索中

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文・著)を読んだよ

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写真:光文社新書は「おっ!」と手を伸ばしたくなるテーマが多いな、とかねがね感じていましたよ。 

 

久しぶりに書店へ行き、ベストセラーの棚を見ていたら「脱学校」とあるではないですか。

「おっ?」と思って手に取ると、堀江貴文さんの著書でした。

 

直感的にこれは今読むべき本だナと思い、買いました。

 

新書なので3時間かからず読み切れます。

が、内容は濃厚かつ本質的でした。

 

印象に残ったポイントをいくつか。

 

・学校とは、産業革命時のイギリスで「使いやすい労働者」を大量生産するために生まれた

……だから日本でも戦中や高度成長期にはあまり違和感がなかったが、低成長の時代になっても続けるのは社会的損失が大きいし、人権的にもおおいに問題アリ。

 

・現在においても日本の学校は、軍隊式がまかり通っている

……「行進」とか「前にならえ」とか本当にイヤだったよ。あれって軍隊だよね? 学校は「戦争はいけません」って教えてたけど、軍隊式はOKって矛盾してないかオイ。

 

・教科書を国家が検定するという制度自体、先進国の中ではまれ

……1903年から終戦まで続いた国定教科書制度の考え方が今も続いている。軍隊式の管理法が続いているのと同じか。

 

・「禁止」で生徒を縛るのはもっとも低コストな教育手法である
……もっと言えば「禁止+体罰」がいちばん低コスト。頭を使う必要がなくて、恐怖で支配できるからね!

 

・没頭する力 
……自分の内側からわき起こる「これがやりたい!」にはかなわない。この力は誰もが持っているもので(この力がなかったら人は生きられない)、長らく使っていなくてもいつでも蘇生する。つまり「選ばれた人」「一握りの天才」の特権ではない。

 

・逆算しない
……「仕事として成立するかどうか」から考えていくと、発想が痩せて身動きが取れなくなる。

 

・「いざという時」の正体は戦争
……日本は現預金の比率がとても高い。それは戦中に戦費を確保する手段として貯金が奨励されたことがきっかけで、今もそれが続いているだけ。

 

・過去を再利用しない 
……今までの経験、すでに持っているスキル・資格でこれからを考えるとやれることが限られるし、なにより「自分がやりたいこと」「好きなこと」とイコールとは限らない。「今」自分が何をしたいか、何が好きかに注力したほうがフィールドは広がる。

 

・「(会社を)辞められるわけがない」は嘘だ
……辞めたいなら辞めればいい。 

 

……書き出していると本の内容をすべて書いてしまうことになりそうです。

 

新書は、同じ内容が何度も出てきて内容が薄いなーと思うことがありますが、この本は隅から隅までみっちり詰まっていました。

 

そもそも、堀江さんが教育をテーマに本を書いたのは
「ほとんどの人は、何かを読んで感銘を受けても行動には移さない」
ケースを嫌というほど見てきたからだそうです。

 

「思い切って動きたいけど動けない人」は、
アクセルを踏んでいないか(=マインドセットがわからない)、
ハンドルの操作法(=働き方・稼ぎ方)がわからないから、
と想像していたとか。

 

が、あるときに「アクセルは踏んでいる。でも同時にブレーキもベタ踏みしている」から「動けない」ことに気付いて、
根本にあるのが「(学校)教育」という「洗脳」だと気付き、
その「ブレーキの外し方」を解き明かすためにこの本を書いたそうです。

 

「洗脳」はなにやら恐ろしげな色がついた言葉です。

しかし「すべての教育は洗脳だ」ということは事実です。

知らないことを教えていくというのは、そういうことです。

 

とするならば、わたしたちがフォーカスすべきは、

「洗脳! コワイ!」では断じてなくて、

洗脳になるからこそ「本当の意味での学びとは何か?」を実社会に落とし込んでいくことではないでしょうか。

 

 

日本において「脱学校」が意味するところは、「脱会社」であり、「脱家庭」であり、「脱国民国家」までつながっていきます。

 

「国家」が「国民」に求めるのは「国家のために働く(戦時なら兵士として戦う)」「人口を増やす(出産)」「納税」です。

「国家」というフィクションを成り立たせるためには「学校」「家庭」「会社」が不可欠だということになります。

 

インターネットが浸透した社会は、「国家」というフィクションの意味や価値が解体していきます。だから、「学校」「家庭」「会社」の意味や価値も解体していく……。

 

このあたり、もともと詳しい人からすると「あったりまえ」の話なのかもしれませんね。

しかし、脱学校を身近に経験した今のわたしからすると、この意味するところがビシバシ響いてきますね。

 

この本の中で、

「G(グローバル)人材」

「L(ローカル)人材」

「N(国家)人材」

という3つの方向性が書かれていました。

この方向性は、堀江さんが指し示している近未来予想図(すでに現在進行形か)をイメージしやすいんではないかと思います。

 

興味のある人は、ぜひ読んでみてください。

 

堀江さんの本(ほかの本でも!)を読んで感銘を受けた人みんなが行動に移せば、世の中は劇的に変わると考えている堀江さんは、ロマンチストだと感じました。

 

ロマンチストとリアリストは、1人のひとのなかで矛盾なく共存できる。

 

両方の手綱を手放さない人が、大小関係なく世の中を変えていくのだと思います。