どうする? 学校から不登校家庭へのアプローチ
もう昨年の春のことになってしまいますが、新年度(2018年4月)に学校から連絡がありました。
不登校中の、学校からのアプローチ。
不登校界隈ではだれもが一度は経験することのようですが……。
いじめ問題渦中の担任と校長が異動に
2018年4月に、長男の1・2年次の担任と当時の校長は異動になりました。
長男へのいじめの一件が響いたのか(残念ながらたぶんそうではないに座布団10枚……)、年数的にそろそろだったのかは不明ですが、とにかく異動しました。
新しい担任と校長が着任したタイミングで、学校側から「あいさつに行きたい」と連絡があったのです。
学校に行っている人からすると当たり前のことで、むしろ丁寧な対応に映ると思います。
が、学校に行っていない側からすると、これは結構なプレッシャーになる場合が多いのです。
アプローチする側/される側の「ズレ」
似たような問題として、『不登校新聞』で「プリントお届け問題どうしてる?」という特集がありましたが、「うれしい」という声は少数派のようです。
クラスメイトや部活仲間の自発的なものも含めての、学校・クラスメイト側からのアプローチというのは、一筋縄ではいかないものがあります。
アプローチする側は、純粋に心配だったり、心から“元通り”になってほしい、元気になってほしいという善意だったりが、その行動のもとになっているでしょう。
(現状、まだまだ不登校が教師や管理職の失点と捉えられることの多い学校現場においては、教師のモチベーションは必ずしも上記のようなものではない可能性はありますが)
学校に行っていない側がどう受け止めるかは、千差万別です。
不登校というのは、子どもの年齢・不登校の原因・学校との関係性・関わりの度合い・葛藤の有無・家族の状況など、変数がとても多いからです。
当然、アプローチ自体が負担になる場合もあります。
・何て言われるんだろう。
・本当はどう思っているんだろう。
・学校に行っていないことが負い目だ。
・(いろいろな理由から)クラスメイトにも、友だちにも、今は会いたくない。
・責められるかもしれない。
・ズルいと思われているかもしれない。
・自分がダメだということを思い知らされる。
・とにかく会いたくない。
……etc.
わがやの場合
わたしたち保護者は、正直に告白してしまうと「今は接すること自体が負担だなぁ……」「明日の夕方って、ずいぶん突然だな」と感じました。
長男はまた別で、単純に新しい担任の先生がどんな人が興味が湧いたようです。
結局は、長男と夫とわたしで相談して、来てもらうことにしました。
返事かたがた、一枚の文書をFAXで送りました。
青木村教育委員会
●●様
平成30年4月5日(木)
昨日はお電話をありがとうございました。
その後、長男も含めて家族で話し合いました。
長男の希望により、本日4月5日(木)17:30頃に、先生方に拙宅までお越しいただきたく、お返事差し上げる次第です。
面会にあたって、何点かお願いがございます。●弟たちが幼稚園入園前で在宅中であることと、もっとも慌ただしい時間帯なので、恐れ入りますが、玄関先でのご挨拶のみとさせていただきますようご容赦ください。
●長男本人に改めて確認しましたが、現時点で学校に戻る気持ちはないとのことです。私たち保護者としても、学校に戻したい気持ちはありません。面会にあたって、学校へ戻ることを促す内容はお控えいただけますようお願いいたします。
私たち保護者は、長男の希望であるならば、一日も登校しないまま義務教育課程を終えても構わないと考えています。
家庭を中心に、周囲の方々のご協力を仰ぎながら、長男の成長をサポートしていくつもりです。
学校教育に携わられている先生方には承服しかねることかもしれませんが、当事者である本人の意思を尊重した上で、われわれ保護者が熟慮した結果、このように考えるに至りました。
おかげさまで、長男は実にのびのびと日々を過ごしています。われわれも、さまざまなことに関心を寄せ、心を動かし、できることがどんどん増えていく長男の姿を間近で見ていられる幸せを噛みしめているところです。
また、昨日お電話を頂戴したあと、夫も私も当時の怒りや悲しみといった感情が生々しくよみがえって、ある種のフラッシュバックのような感覚におそわれました。どうしても必要な事務的なやりとり以外は、ご連絡はご遠慮いただきたいのが本音です。
これらのことを尊重していただいた上で、今後は適宜、必要なときにこちらからご相談等お願いできれば幸いに存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。
一枚の文書
なぜこんなものを送ったかと言えば、露骨に言ってしまえば、釘を刺しておきたかったからです。
今までの経緯を考えると、学校側にわたしたちの考えや意図がきちんと伝わっているかは、かなり怪しいと感じていました。
それに、いちばん避けたかったのは、長男に直接「学校においで」と言われることでした。
いじめを解決しようとしないのに「学校に戻ってほしいんです」と具体的なプランを提案されてしまった経緯があるので、「学校においで」と言われる可能性は高いだろうなと直感的に頭に浮かびました。
学校に行かなくなった原因であるいじめが解決していないのに「学校においで」というのは、とても奇妙な話です。
そもそも現状では本人に学校に行く気がなく、その気持ちは尊重されていないことになります。
わたしたち保護者は、学校の関係者にはとてもじゃないけれど会いたくはありません。
学校の敷地ですら、足を踏み入れたくない……。
はっきり言って、トラウマです。
正直、ここまで親であるわたしたちが傷つくとは思っていませんでした。
そのあたりの話は、最近出版されて話題になったこの本が生々しく伝えてくれそうです。
(買ったのですが、気持ち的にまだ読めないでいます)
そして当日。
こんな文書を送ってくる保護者は面倒に違いないと思われたのか、おそるおそるという雰囲気で、本当にあいさつのみだったそうです。
(わたしは不在だったので夫からの伝聞です)
かたちばかりの「待ってるよ」
学校側としては、何もしないのはマズいということもあるのかもしれませんね。
まだまだ学校現場では、不登校は「あってはならない」問題行動と受け止められているようですから……。
不登校じゃなくなってほしいのが本音だと思います。
でも、信頼関係が損なわれているところに、学校側の“思い”主体でアクションを起こされても、逆効果なのではないかと。
わたしたちにとっては、
・学校側が誤りを認めて解決に動く(今となってはもう不可能ですが……)
・わたしたちの考え・スタンスを尊重する
までは、対話のスタートラインに立てないというのが正直なところです。
これは出典を失念してしまったのですが、部活が原因で学校に行かなくなった中学生が、部活の仲間からかたちばかりの 「待ってるよ」という手紙をもらってつらかった、という体験談を読んだことがあります。
一般的には美談になりますが、受け取る側にはなかなかに残酷です。
正解はないけれど……
今回のことは、Facebook上の不登校オンラインサロンでも共有して、いろんな人の意見や体験を教えてもらえたのはよかったです。
学校からの働きかけに身構える保護者とは対照的に、子どもはあっさり「ちょっと行ってみようかな」となって、久しぶりに学校に行こうかという流れになったご家庭がありました。
当たり前ですが、子どもはまた別の感覚を持っています。
その保護者の方は、「行っても行かなくても、どっちでもいいんだ」と肩の力が抜けたと教えてくれました。
また、学校に行きたいときだけ行っているお子さんは、「学校は楽しいところ」と言っていました。
自分が行きたいと思ったときに行って、行けば同い年の友だちとワイワイできる。
詳しくは聞いていませんが、学校に毎日通っていないことをニュートラルに受け止められるクラスメイトに恵まれていることもあるのかもしれませんね。
これも、目からうろこでした。
わたしたちは今回こういうやり方をとりましたが、もちろんこれが正解とは考えていません。
あくまで、さしあたっての対応に過ぎません。
こんな文書を送りつけるなんて、「面倒でキツい保護者だよね~」と自虐的に思うこともあります。
葛藤は常にあります。
開拓者の醍醐味
学校に行かないという選択をすると、このように、正解のない事象がいろいろと起きてきます。
うーん、大変だ! 面倒だ!
でも、おもしろい。
だって、道なき道を、自分たちで開拓していくんですよ。
わたしたちなりの答えを見出していくということは、かけがえのない時間だと感じています。
もちろん、保護者であるわたしたちがそう思っているだけで、長男はまた違った感じ方をしているでしょう。
相手を喜ばせなくていい
正解はないけれど、それでも、ほんとうの気持ちを伝えることが、いちばん大切なことなのかなと思います。
たとえそれが相手を喜ばせないものであっても、です。
対話はそこからしかはじまらないし、対話がはじまらなければ理解もしあえないからです。
時間が経って状況や思いが変わることがあっても、ほんとうの気持ちはいつでも伝えられるように、見失わないようにしていたいです。