生きてるだけで丸儲け
ごぶさたしております。
春めいてきて、ようやく書きたい気持ちになってきたので久しぶりの投稿です。
不登校界隈でも話題になっていたこの少年、記事化されたことで大反響となりお店に人が殺到……というところまでは聞いていて、その後が気になっていました。
その後を教えてくれる記事が出ました。
お店のキャパシティーを超えるほど人が殺到すると、お店の人は多大な消耗を強いられ、嫌な思いもたくさんする……ということは容易に想像できます。
もちろん、こちらのお店もそのようなことはあったでしょう。
が、それよりも、その嵐を乗り越えた家族の軽やかですがすがしい姿に心を打たれました。
本当によかった。
そう思いながらも、別のことを考えていたわたし。
不登校の子ども、過去に不登校だった人の「成功」を見聞きすると、安堵する自分がどこかにいます。
「ほら、不登校でもこんなに立派に生きられる」ってね。
でも、立派に生きていないとダメなの?
不登校で長らくひきこもる生活をしている当事者は大勢います。
打ち込めるものがない。
お金を稼いでくる仕事はできない、したくない。
社会の役に立つようなことはできていない。
それではダメなのか?
わたしが愛読している専門紙『不登校新聞』には、そういう当事者(かつて当事者だった人も含め)の手記や声がよく載ります。
(だからこそ、安堵している自分に気づくことができ、自問することができました。『不登校新聞』ありがとう!)
不登校になったとき、当事者もそうですが、そばにいる大人の着地点はどこにあると思いますか?
わたしは、「生きているだけで丸儲け」だと心から思うことに尽きると考えています。
話は変わって、わたしの好きなエピソードを紹介させてください。
アメリカはボストンにあるサドベリースクールでは、入学時に「もしかしたら、お子さんが20歳になった時に字が読めないかもしれません。それでも、子どもを尊重できますか」と尋ねられるそうです。
公教育を離れて過ごした日々 「オルタナティブスクール」とは - Yahoo!ニュース
まさに、「生きてるだけで丸儲け」の精神です。
話はまたまた変わります。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会った頃に、アーティストだったヨーコの展示を見る機会がありました。
ヨーコの作品は一風変わっていて、脚立と天井からぶら下がった虫眼鏡というものでした。
脚立にのぼって虫眼鏡で天井を見ると、そこにはとても小さい字で「yes」と書かれていたそうです。
はじめてこのエピソードを聞いたとき、わたしに「yes」と言ってくれたような、あたたかな気持ちになったことを今でも覚えています。
学校に行かないことを選択した人へ。
あなたがどうあっても、「生きてるだけで丸儲け」。
あなたがどうあっても、「yes」と伝えたい。
そんなふうに、不登校という事象と関われたら最高ですよね。