まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族でオルタナティブを模索中

『崖の上のポニョ』を観ると涙が出てくるのはどうしてなんだろう

f:id:gyogo:20170914090039j:plain

画像:「崖の上のポニョ」公式ホームページより。ダウンロード可の画像です。

映画『崖の上のポニョ』公式サイト

 

 

ホームエデュケーションの一環、ではないですが、最近のわがやは双子さんたちを中心に、スタジオジブリ作品を1日1回は観る生活になっています。

散々観てきたはずの長男も、なんやかやで一緒に観ています。

 

そんななかで、改めて感じた『崖の上のポニョ』についてのあれこれを書き留めたいと思います。

 

※ネタバレありですので、未見で結末を知りたくない方はご注意ください

 

 

 

 

 

スタジオジブリの映画はどれも傑作ぞろいです。

と書くと「太陽は東からのぼる」というほど自明のことを口にするマヌケさが際立ちます。

 

そのマヌケさを承知で書きますが、やはり傑作ぞろいです。

 

先日、スタジオジブリ作品の音楽をオーケストラと合唱団が演奏する番組を観ていて、終始「ああ、これもあったな」「外せない作品ばかりだなぁ」という感想で、その思いを強くしていたところです。

 

 

ポニョを1日1回観る毎日

長男が幼いころに、スタジオジブリ作品のブルーレイを買いました。

このときに、ほとんどの作品を揃えました。

 

いま、ニア3歳児の双子さんがそのブルーレイにはまっているところです。

『となりのトトロ』からはじまって、夫と長男の趣味で『紅の豚』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』をはさみながら、現時点では『崖の上のポニョ』を1日1回は観ています。

 

わたしがいちばん好きなスタジオジブリ作品も『崖の上のポニョ』です。

 

お話としては、本当に不思議な作品です。

冷静に突っ込んでしまうと、モヤモヤするポイントがたくさんあるでしょう。

 

しかし、わたしにとっては、毎度涙をこらえるのに必死な作品なのです。

 

 

落涙ポイント1~オープニングの唄「海のおかあさん」

歌詞が描く世界、そして徐々に盛り上がっていく曲調、画とのシンクロ具合。

その3つがあわさって、ガツンと圧倒されます。

 

なんかこう、すごく大事なことをのっけから朗々と歌い上げられてしまい、「降参!」と言いたくなるというか。

 

この曲「海のおかあさん」の歌詞は、覚和歌子さんの詩集『海のような大人になる』(理論社)に収められている詩「さかな」がもとになっています。

作詞をした宮崎駿監督は、海の風景を描いた唄、海を舞台にした唄ではなく、「海そのもの」をうたった唄を作りたいと考えていたそうです。

詩「さかな」は見事に「海そのもの」を描いていて、宮崎監督は衝撃を受けたようですね。

 

わたしも、この歌詞に衝撃を受けました。

みんな「きょうだい」で「いっしょにくらしていた」ですよ。

「クラゲもウニもサカナもカニも みんなきょうだいだった」ですよ。

 

過去形なのがポイントですね。

今はそうじゃない、ということですから。

 

グランマンマーレが「わたしたちは(海の)泡から生まれてきた」と言いますが、すべての生き物は元をたどればそうだったわけで。

 

かつてひとつだったものが今はそうではない。

ここに宿る切なさと、すべてを身ひとつに宿していた海のおおきさを感じます。

 

ちなみに、歌っている林正子さんは、世界的に活躍するソプラノ歌手です。

すばらしい歌詞をすばらしい歌声で歌い上げられたら、そりゃ涙も出てくるというものです。

 

 

落涙ポイント2~ポニョがはじめて喋り、フジモトがポニョを取り戻す

ポニョがはじめて「そうすけ!」「ポニョ!」「ポニョ、そうすけ、好き!」と言葉を発します。

それを受けて宗介の瞳に、光がひとつ増えるのです。

ここでまず「うっ」ときます。

 

その後、フジモトの手下がポニョをさらい、宗介がポニョの名を呼びながら泣きます。

さらに「うっ」となる二段仕掛けになっています。

 

それにしてもフジモト、娘であるポニョからは「わるい魔法使い!」と散々な言われようですが、じつに愛すべきキャラクターです。

フジモトはすごく真面目で純粋で正しい人で、こりゃ煙たがられるなーというくらい原理主義的なんですが(今風なら環境マフィア的な?)、なかなかにおっちょこちょいなところが救いというか、チャーミングです。

手下たちも見た目はコワモテながら、失敗したり、ちょっとお間抜けだったりして、憎めません。

 

 

落涙ポイント3~ポニョがお魚の波の上を走る

宗介に会いに行くために魔法のふたを開け、嵐を起こしたポニョが、荒れ狂うお魚の波の上を滑るように走っていきます。

 

高らかに鳴り響く金管楽器の音と、緊張感とスピード感のある展開もあいまって、心を揺さぶられて結果、涙が出ちゃうんです。

 

 

落涙ポイント4~宗介とポニョを残してリサがひまわりに行く

子どもを残して母は行くわけですから、それだけで泣ける人は泣けますね。

「行かない」という選択をしても誰も責めないであろう状況です。

それでも「行く」という判断をし、そのことを誠実に説明するリサ。受け入れる宗介。

すごい親子です……。

 

 

落涙ポイント5~宗介がリサの車を見つける

乗り手の姿がなく、打ち捨てられたように停まっている軽自動車は、何かを暗示しているようです。

 

最終的にはみんな生きて再会するのですが、じつは一旦みんな死んでいて、ここは死後の世界なのではないか、とも感じられます。

この直前に、町の人が船団で「山の上ホテル」に移動しているシーンがありますが、天国へ行っていることを示唆しているように見えます。

 

リサがいないことに泣きだす宗介の涙で余計に泣ける。

また、ここで流れる音楽に胸を締め付けられるのです。

 

 

落涙ポイント6~宗介とグランマンマーレの会話

グランマンマーレに、ポニョが元はお魚であること、半魚人であることを知っているかと確認される宗介。

 

宗介は、一点の曇りもなく「お魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョもぜんぶ好きだよ」と即答します。

 

これって、すごいことじゃないでしょうか。

 

この物語においては「魚」「半魚人」という表現ですが、果たしてどれだけの人が、「愛」をこのように言い切って表現できるのだろうか、と感慨深い気持ちになりました。

「どんなあなたも好きだ」ということですから。

 

実際に、お魚のポニョはトキさんには「人面魚じゃないか! 早く海に帰すんだよ。津波を呼ぶよ!」とあからさまに忌み嫌われています。

 

 

落涙ポイント7~グランマンマーレからポニョを託されて

ポニョの妹たちが高速で流れ、ポニョに祝福なのかお別れなのかを伝えにきているところから、金色の光とグランマンマーレの退場、「リサ、ありがとう」「あなたも、グランマンマーレ!」のシーンは圧巻です。

 

そしてラスト、陸に上がって自分からキスをして人間になるところも、最後の最後までポニョらしくて泣けます。

 

そこであの能天気なほど明るいテーマソングが流れてくるのですから、落差が大きすぎてカタルシスありすぎです。

 

 

多幸感あふれる食事のシーン

感涙ポイントではありませんが、ポニョが人間になって宗介のもとへ戻ってきて、宗介の家で過ごすシーンも印象的です。

多幸感に満ちていて、温かさと安寧を感じるシーンです。

 

ふかふかで真っ白なタオル。

はちみつを入れたミルク。(薄茶色に見えるのでミルクティーかもしれません)

ハムとゆで卵がのったラーメン。

 

この映画は、人間と自然の対立が示唆されています。

このシーンは、人間をやめたフジモトからすれば「愚かで忌まわしい生き物」でしかない人間の世界が持つ豊かさ、温かさを描いていて、「希望」を感じるのですよ。

 

不思議なことが起こり続け、嵐に飲み込まれそうになりながらも、この「嵐の中の灯台」においてはいつもの生活を取り戻そう――。

 

そんな健気さすら感じます。

 

 

ポニョがはじめて見る人間の赤ちゃん

ポニョと宗介がリサを探しに行く途中、船にのった親子3人に出会います。

はじめて人間の赤ちゃんを見るポニョの言葉、行動が興味深いです。

 

このシーンは、どうしてこんなに時間を割くのだろう、というくらい赤ちゃんをじっくり見せます。

そして、魚の生態にはない授乳を示唆する「おっぱい」についてのやりとり。

 

宮崎監督が見せたかったものは、何なのでしょうか。

装飾のない生命のすがた、原始から営々と続くいのちのかたちを見せたかったのかもしれない、と想像します。

 

 

リサというユニークな母親

自立していて、自由な精神を持っているリサは魅力的です。

しかし、母親としては珍しいタイプかもしれません。

 

・宗介に、名前で呼ばせている。

・宗介を乗せていても軽自動車(しかもマニュアル!)をかっとばす。

・宗介を子ども扱いしない。

・感情をあらわにする。(耕一が帰れなくなったシーンでの、光によるモールス信号「BAKA」連打は最高)

・こわがらない。(内心ではこわいのかもしれないが、立ち向かうほうを優先する)

・不思議なこと、ふつうではないことをまず受け入れる。

 

なぜ宮崎監督は、リサをこのようなキャラクターにしようと思ったのか、とても興味があります。

 

余談ですが、この映画がいいなと思うところのひとつに、

ポニョについて

「ポニョ。いい名前ね」

「ポニョは素敵な赤毛ね」

と肯定的に表現するシーンが複数回出てくる点があります。

 

お魚から人間になった特殊な存在であるポニョにこんな言葉をかけられるほど自由な心が、とてもすてきだなと感じるのです。

 

そういえば、『崖の上のポニョ』のキャッチコピーは「生まれてきてよかった。」です。

「肯定」の物語なんですね。

 

 

この保育園、いいなぁ

宗介が通っている保育園、保護者目線で見るとなかなかすごいんですよ。

 

まず、通う時にどうやら荷物がほとんどなさそうである点。

 

保護者の負担を減らそうとしてくれているのか? と想像します。

日本ではそういう園は少ないですが、フランスなどでは預けるときに何も持たせなくていい保育園があるようですね。

 

いろんな荷物を毎日毎日用意しなければならず、それに加えて「紙おむつが切れました」「ビニール袋がもうありません」「調理用エプロン持たせてください」「長靴持たせてください」「来週から毛布持たせてください」「泥遊び用の着替えを持たせてください」……etc.という荷物地獄の日本の保育園。

紙おむつ1枚1枚に記名しなければならない園もあります。

 

なぜ預けているのかを考えると、園で貸与もしくは有償支給してくれるととても助かるんですが……ねぇ。

 

さらに、宗介が登園するシーンで「熱が少しあるけれど機嫌はいい、おそらく0~1歳児」を「だいじょうぶでしょう」とこころよく預かる保育士さんが描かれています。

 

これも、普通の保育園では考えられない!

 

「病気をうつすんじゃないか」「体調が悪いときぐらい保護者が休め」と難色を示す向きもあるでしょうし、見極めがものすごく難しいところですが(下手すると責任問題に発展)、ここまで腹の座った対応をしてもらえると助かる保護者は大勢いるのではないでしょうか。

 

この保育園、全体的におおらかなんですよね。

保育園という場所はそのおおらかさがゆるさに変容し、事故を招くことも十分あり得るので、手放しに絶賛はできません。

それでも、このおおらかさに深いところで救われる保護者は多いだろうな、と思えてなりません。

 

スタジオジブリの保育園も、こんな感じなのかしら?

想像がふくらみます。

 

 

まったり観ることはできない

最初から最後まで息つく暇がない、畳みかけるような展開なので、観ると正直いつも疲れます。

少なくとも『となりのトトロ』のようにまったり観ることはできません。

 

双子さんたちの観方にもそれは表れていて、ふたりともすごい集中力でじっと観ているのです。

まあ、笑いのポイントは独特で、大人にはよくわからないところで笑っていますが……。

 

波や風の描写も圧巻で、アニメーターさん大変だったろうな……とつい思ってしまうのも、息がつけなくなる一因かもしれません。

デフォルメがすごく効果的で、自然のすさまじい迫力はそのままに、違和感なく表現できているのは、高度なチャレンジの賜物ですね。

 

ああ、とてもじゃないが書ききれない!

あれもこれもと語りたくなってしまいますよ。 

 

 

何度観ても泣けてしまう

子どものいる生活になってから、めっきり涙もろくなりました。

そのわたしでも、毎度涙がにじむ作品はポニョぐらいでしょうか。

(寝台特急「富士・はやぶさ」のラストランを収めたDVDも面白いように泣けますが、それはまた別の話)

 

まるで不思議な夢を見たあとのような感覚

観るごとに、その時点での自分の内面、成長を反映して違う面が見えてくる。

 

それは、無意識の深いところから汲み上げたもので作り上げられた作品にしか備わらない「力」ではないでしょうか。

 

子どもたちがどう感じているかはわかりませんが、この作品に限らず、スタジオジブリ作品が持つ「力」を体にしみこませてほしいものです。

 

きっと、生きる力になるから。