七・十一 教育委員会との面談(第三回)
写真:今回開示・回答された文書です。個人名などが記されているので内容は伏せます。
やってきました第3回目の教育委員会との面談日。
今回は、先方は教育長とSC(スクールカウンセラー)、当方ははわたしと夫という顔ぶれでした。
今日は、先日出した要望書への回答をいただくことになっていました。
まず、こちらが資料として開示をお願いしていた「学校から教育委員会へあがった報告書」と「児童に実施した記名式アンケート回答」は開示されました。
要望書にも、すべて回答がなされていました。
この段階で「黒塗り」や「開示拒否」などもあり得たので、まずは開示・回答そのものがなされたことにホッとしました。
その場で、夫とふたりで目を通します。
いくつか引っかかる点(感想)が出てきました。
感想1.本当に反省しているの?
アンケートの問い「今までに 自分がお友だちに いやなこと、かなしい おもいをさせてしまったことはありますか?」に「ある」として回答したのは2人だけ。
しかも、やった相手として長男の名前を書いていたのはそのうち1人しかいなかった。
……いじめた子は4人いるのにこの結果ということは、自分のやったことがわかっていないのではないか? もっと言うと、反省していないという可能性もじゅうぶんあり得るのではないか、という感想を持ちました。
感想2.証言の食い違いは重視しない?
要望書で「学校側が証言の食い違いが起きた段階で検証作業を止めた理由と、どのような収束を考えていたのか具体的な説明を求めます」という問いを設定。
この問いへの回答として、以下のような結論づけが。
「(いじめの再発で聞き取り、アンケートの結果)4名の児童は今回の事件にはかかわっていないと判断した。検証作業を止めたのではなく、4名の児童はかかわっていないと判断したためである。●●さん(注:当方)の主張されることと、平行線になってしまったと考えている。」
……ここから読み取れるのは
1.証言の食い違いの解消は重視しない
2.4名の児童の証言を採用し、目撃者と長男の証言はオミット(除外)する
3.4名の児童の証言のほうを採用した具体的な根拠は示されていない
ということです。
1については、こういう考え方はあるだろうし、その中において合理性はあります。
ただ、「証言の食い違いの解消は重視しない」という考え方は、倫理的・教育的にどうなのか? と感じるのが正直なところです。
狭義の合理性は認めるけれど、到底受け入れられない考え方です。
また、2と3は解消されないまま残ります。
感想3.担任の謝罪は限定的
同じく要望書で問うた「自身の責任について担任はどう考えているか」については、「現在、長男さんが長期にわたる欠席が続いていることに対して、長男さんとご家族に対して心からお詫びをしたいと思っています」という回答があり、謝罪は「長期欠席」に限定されている。
……あくまで自分の指導の不手際だとは認識していないことが読み取れました。
感想4.知らなかった事実
学校から教育委員会への報告書(不登校重大事態に係る調査報告)においては、こちらが知らなかったことがいくつか書かれていた。
……
1.1回目の聞き取りにおいて「4人とも最初はいじめを認めなかった」そうなのです。とするならば、2回目も「やっていない」というのはじゅうぶんあり得る話で、なぜ1回目のような突っ込んだ聞き取りをしなかったのか、かえって疑問がふくらむところです。
2.また、Aは長男から「デブ」と言われたり、バカにされたりしたということをいじめた理由として挙げており、これも初耳でした。長男から謝罪をしていないので、Aからすればいじめた側からの謝罪の席は「アンフェア」だと感じたとしても、無理からぬことだと思います。これは完全に憶測ですが、それがいじめの再発の遠因になったかもしれません。
さらに、このことを知らされていたならば、謝罪の席で長男からAに謝罪をさせていたことも付け加えます。
感想5.いじめの真相解明よりも子どもの成長?
いじめが再発して証言が食い違った後の校長との面談で「4名の児童はかかわっていないと判断した根拠は何か」というこちらからの問いに対しては、報告書では「小学校低学年期の児童における理解と記憶には曖昧さがあり、違いが生じて当然であること、自身の経験も含め全て子どもたちの今ある姿を信じていること、全ての子どもがよりよく成長していくことをまずは大事にしたい」と校長が説明した旨書かれていた。
……たしかにこういった発言がありましたが、今読み返しても、こういう判断でよかったのかという疑問は拭えません。
理解や記憶に曖昧さがあるのは大人でもじゅうぶんあり得ることです。
それに、ことは「いじめ」です。
「真相はこれ以上追及できない(しない)から、そこは目をつぶって、いじめを糧に成長してほしい」というのは、少なくとも被害者側にはとうてい受け入れられない理屈ではないでしょうか。
教育委員会への返事
学校側は学校側で理屈があることはわかりました。
ですが、その内容については受け入れることはできません。
学校側の理屈に沿えば
「あなた(長男)の証言は採用しない。あなたのような年齢では記憶や理解のあいまいさがあるから、(一回謝罪をしているのだから)痛み分けということで、そこは目をつぶってもらえないか。クラス内での加害児童との接触に配慮して、大人の目がなくならないようにして環境は整えるから、登校を再開してほしい」
と言われていることになります。
これで納得してほしい、というのはやはり無理があると感じます。
いじめで証言が食い違うなんて、そうめずらしいことではないはずです。
何が真相で、何が原因だったかわからないで、何をどうやって指導するつもりなのでしょう。
それ以上追及をしない、できないと諦めるなら、少なくとも教育者という看板は外してほしい。
心の底から疑問に思います。
表面的には対応できたとしても、根本はそのまま。
爆弾を抱えたままと同じです。
開示・回答してもらったものについて、これをもってさらにどうこうしたいということは今は考えられません。
言えることは、
学校には信頼に足る論理性がないということと、長男に対して「もう安心して学校に通えるよ」とはとても言えないということだけです。
教育長には、資料の開示と要望書への回答をしてくださったことについて、お礼を伝えました。
第三者委員会
教育長としては、今日は持ち帰ってもらって回答への返事はまた次回、と考えていたようです。
わたしたちがその場で返事を伝えたため、次のステップについて話がありました。
第三者委員会の設置です。
もちろん、あくまで選択肢であって、必ず設置するものではありません。
わたしたちが望めば、ということです。
第三者委員会は、弁護士、臨床心理士、有識者、村の民生委員などで構成されます。
その人選は、弁護士なら弁護士会、臨床心理士なら当該の協会などに依頼してお任せするそうです。
人選の結果は、もちろんわたしたちにも知らされ、承諾を得てからスタートということになります。
これはさすがにすぐに返事ができる内容ではなかったので、持ち帰って後日返答することとなりました。
終わってみて
学校側の理屈は、「考え方の違い」で済ませてほしくない理屈だと感じました。
これが通るならば、正義はないことになります。
都合の悪いことは「ご指摘にはあたらない」ですべてはねつけている安倍政権に似ていると感じました。
先日、教育長からの提案された「学校へ戻ってきてほしい」というプランについて、この面談に向かう前に長男に話しました。
もちろん、余計な色はつけずにです。
(当然ですが、誘導したくなかったので)
長男の答えは、想像を超えていました。
「それは、みんな次第じゃない?」
このひとことがすべてを物語っています。
次回の面談までに、第三者委員会の設置を要望するかどうか、よくよく考えたいと思います。
以上、現場から報告を終わります。