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『週刊少年ジャンプ』の性表現問題がモヤモヤする

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写真:わたしが編集者時代に担当したティーンエイジャー向け性教育本『おとなになるためのベストアンサー 71のQ&A みんなこうなるの?』写真:ヤン・フォン・ホレーベン、文:アンチェ・ヘルムス、監修:北村邦夫、訳:畑澤裕子(講談社

 

 

 

 問題は「表現の自由」なのか?

ネット界隈で話題になっている『週刊少年ジャンプ』の性表現。

ツイッターを見ていても、すっごくモヤモヤします。

 

(別の媒体になりますが)少なくともわたしは、『週刊少年マガジン』で人気の『七つの大罪』において、主人公がカジュアルかつ脈絡なく女性の胸を揉む描写は、はっきりと不快でした。

 

これを「表現の自由だ!」と言われても……むしろ、バカにされているような気持ちになってしまいますよ。

 

 

 

「反復学習」はあなどれない

「現実世界で犯罪や人権侵害になる性表現が即、性犯罪につながる」という考え方は雑ぱくすぎますが、こういう表現に「繰り返し触れる」ことの「効用」に対して楽観的な人が多いのは、怖いと感じています。

 

犯罪には直結しないけれど、人権侵害的なふるまいを醸成してしまう可能性について、もっと真剣に考えたいところです。

 

「強姦も性行為のひとつ」と認識している大学生がリアルに存在します。

「生理は処女じゃなくなると来る」と理解している大人がリアルに存在します。

 

これらは「反復学習」と「正しい知識の欠如」のコンボではないでしょうか。

 

 

 

日本での女性、性犯罪の扱われ方から見えてくるもの

日本はたしかに、データ上では外国と比べて性犯罪が突出して多くはないようですが、セクシャル・ハラスメントが少ないわけではありません。

 

ジェンダーギャップランキングもどんどん順位を下げています

(これは性犯罪、セクシャルハラスメントと直接関係のない指標ですが、その国で女性がどう扱われているかを端的に数値化しているので、参考にはなります)

 

準強姦罪で実名、顔を出した詩織さんの告発に対して、ここまでバッシングが繰り広げられることからも、「日本において性犯罪がどう扱われているか」は端的に伝わってきます。

 

NHKのテレビ番組「あさイチ」で、性犯罪被害者へのバッシングが多数投書されていることからも、以下同文。

 

110年ぶりの刑法改正においても、「はっきりした抵抗や、暴行や脅迫を伴わないと強姦だと認めない」という点は解消されなかったことからも、以下同文。

 

性表現を云々せずとも、こういう客観的事実、社会状況から人々が「学習」するものは、想像にかたくありません。

 

ましてや「性表現」を「反復学習」して「性的人権感覚、性の価値観・感性」にまったく影響がない、とはどうしても思えないのです。

 

 

 

規制すればいいということでもなさそうだ

頭の中で考えることはどこまでも自由。

そこを取り締まることについては、断じてNOです。

 

だから、「こういう表現を規制すればいい」は違うと考えます。

 

問題なのは、「性表現」ではなくて「セクシャルハラスメントや性暴力を肯定、楽しむ表現」が、「男子にはこういうのが必要」という言説で市民権を得ていることではないでしょうか。

 

そういう表現が受け入れられている社会で、「これはフィクションだ」といくら言っても誰も聞かないんじゃないでしょうか。

 

 

 

性教育は3歳から、がスタンダードになってほしい

だから、やっぱり「性教育」だよなーと思うのです。

 

保護者の出番ですよ。

 

学校で教える性教育「ラスボスと戦うのに木の棒しか渡さない」ようなものです。

運よく、熱意と知識と行動力のある教師がいれば、お子さんは充実した性教育を受けることができるでしょう。

でもそれは、ほんの一握りです。

 

「寝た子を起こすな」「自然に知ることだ」では「猛獣がうろつく谷に丸腰で突き落とす」のと同じです。

今はネットがあるので、より過激な性表現や悪意ある大人に、簡単にアクセスできてしまいます。

性教育については「教えないのは罪」という時代なのです。

 

だから、丸投げしてはいけません。

 

保護者が、3歳くらいから、機会をとらえて、継続してやるのがベストです。

 

子どもは、小さいうちから「赤ちゃんはどこから来るの?」と疑問を持ち、どこかで「女の子はこういうもの、男の子はこういうもの」ということまで学習していきます。

 

こういうことをいきなり聞かれると「ウッ」となりますよね。

でもここが踏ん張りどき。

 

その子の発達に合わせて、事実を、包み隠さず、ネガティブな色をつけずに伝えます。

 

はぐらかすと「これは聞いてはいけないことなんだ」と学習します。

疑問にきちんと答えると子どもなりに納得します。

 

子どもの発言をきっかけに「どうしてそういうふうに思うの?」と会話を重ねることで、性に対しての考え方が少しずつかたち作られていきます。

 

このとき、何かの規範を元に話をするのではなく「わたしはこう思うよ」という「Iメッセージ」がおすすめです。

 

大事なのは、価値観を押し付けることではなく、考えるくせをつけることなので。

 

千里の道も一歩より。

この積み重ねこそが、のちの「性的人権感覚」「性の価値観・感性」のベースになります。

 

性教育の絵本や本には、使えるものがたくさんありますので、積極的に取り入れてみてください。

(ぜひ、保護者の方ご自身で中身に目を通して選んでください)

 

 

 

結局は大人が性をどうとらえているか

もちろん、わたしだって元からこういうヒトだったわけではありません。

 

高校時代は「婚前交渉はいけない」と真顔で言うヒトでした。

性についてタブー感は強いほうでしたよ。

 

いろんな「学習」のおかげで、自分が性をどうとらえているかを見つめなおし、考え方を変え、表現ができるようになったのです。

 

性(セックス)にはいろんなイメージがあります。

 

恥ずかしいもの。

エロいもの。

隠すべきもの。

いけないもの。

楽しいもの。

自分を解放するもの。

すばらしいもの。

神秘的なもの。

最高!

暴力。

苦痛なもの。

楽しくないもの。

怖いもの……。

 

いろんなイメージがあって、どれも、その人にとっての真実。

 

ただ、子どもに伝えるときに、どういうイメージで手渡したいか? と問われれば、わたしは断然「楽しいもの、すばらしいもの」と伝えたいです。

 

そんなわけで、そのへんは自分会議をしながら、自分が納得できるように考え方を変えていったのです。

抵抗感が生まれてきたら「なんでそう思うの?」「何が問題だと思う?」と自分に問いかけていきます。

そうやって、ひとつひとつ解きほぐしてきました。

 

 

 

セックスはなんのためにある?

セックスへのイメージを広げるためには、セックスの意味の多様性がいいヒントになります。

 

ちまたでセックスというときに多くの人がイメージするのは「コマーシャル・セックス」ではないでしょうか。

「商業的に消費される性」のことです。

ポルノや風俗などの「性産業」と言い換えるとわかりやすいですかね。

 

子どもに性教育するときに大人が戸惑うのは「セックス=コマーシャル・セックス」と思い込んでいるからではないでしょうか。

 

当然、セックスが持つ意味はそれだけではありません。

 

・命をつなぐ「リプロダクティブの性」

・他者との究極の交流である「コミュニケーションとしての性」

・自分自身の性を楽しむ「セルフプレジャーの性」

 

セクシャル・マイノリティを語るときによく出てくる言葉も役に立つでしょう。

・「性自認」……心の性別。自分の性別をどう認識しているか

・「性的指向」……どんな性別の人が好きなのか

・「生物学的性」……身体的な性別

・「ジェンダー」……社会的な性別

 

そうやってみていくと、セックスにまつわる言説の「どういう側面が」「どういう場合に」問題になるのかがわかりやすくなります。

 

そして、セックスをひとつのイメージだけで考える必要がないこともわかります。

 

コマーシャル・セックスに目くじらを立てる必要もないし、リプロダクティブの性を過度に崇める必要もなくなります。

 

 

 

子どもに伝えるときの組み立て方

子どもに伝えるときは、

わたしだったら、まず「リプロダクティブの性」をベースにします。

 

(ここから先は発達に応じてですが)

その上に、「コミュニケーションとしての性」「セルフプレジャーとしての性」を置きます。

 

それとは別に、世の中には「コマーシャル・セックス」があることも伝えます。

それは「ファンタジー」「フィクション」であることも忘れずに。

 

これに、

「自分がどんなふうに扱われたいかを考えると、相手とどう接すればいいかわかるよ。痛いことや嫌なことはされたくないよね」

ということと、

「イヤなものはイヤ。それ以外の意味はないよ」、

そして「避妊」と「性病予防」の知識を伝える……。

 

ほかにも伝えたいことはたくさんあるけれど、大枠はそんな感じで考えています。

 

これは、子どもに伝える「建前」ではなくて、自分のためでもあります。

心から思っていないことは見抜かれます。

伝える内容も大事ですが「どう伝えるか」は恐ろしいほど雄弁ですから。

 

言葉よりも「態度、しぐさ、声色、しゃべり方」といった言葉外の情報のほうが、伝わりやすいのです。

 

だから、「この考え方に自分は納得ができるか?」ということは、いつも確認しています。

 

 

 

結論:まずは足元から

そんなわけで、やるべきことはまず足元から。

 

・自分にとっての性を見つめなおし、再構築する。

・「セクシャルハラスメントや性犯罪を肯定したり、楽しんだりする」言動や表現に違和感を感じたら、隠さない。

 

いやあ、地味ですね。

 

でも結局、こういうことって、どこかの誰かが劇的に変えてくれるものじゃないですよね。

自分を変えるのがいちばん早い。

 

「性」は生涯、生まれてから死ぬまで、わたしたちに寄り添い続けます。

何歳になったら「性」がはじまって、何歳になったら「性」がなくなる、なんてことはありません。

 

だとしたら、だれにとってもできる限り人生を豊かにするものであってほしいし、心地よく付き合っていけたら最高ですよね。

 

週刊少年ジャンプ』が提起した問題は、ほかにもいろんな切り口があるので(売れる=正しいという出版業界の常識とか)この限りではありませんが、 今回は性教育を切り口に考えてみました。