東京シューレの方の話を聞いてきたよ!<中編>
写真:「東京シューレ」のパンフレット。33年の蓄積はすごいですねー。
前編から続きます。
33年続く東京シューレの活動はいろいろです。
・フリースクールが3か所(東京都王子、新宿、千葉県流山)
・札幌の高校と提携した高校コース
・ホームシューレ
・シューレ大学
・東京シューレ葛飾中学校
フリースクールは、ビル1棟、もしくはビルの一室を借りて運営しています。
6~20歳が対象で、初等部、中等部、高等部と分かれていて、それぞれに、プログラムもありつつ、個々人でやりたいことをやるというスタイルです。
進学へのサポートもあります。
「自己決定」という自由を尊重して、それに伴う責任も学んでいこうと明言しています。
当然ですが私服で、ピアスをしている小学生の女の子が印象的でした。
日本だとまだ違和感が強いかな?
でも、本来、何を身に着けるかは自由なはず。
そういうことにも気づかされる映像でした。
週1回、子どもとスタッフがミーティングをしている姿がいいなーと感じました。
学校にも生徒会とか児童会とかありますが、正直かたちだけですよね。
子どもと大人が対等に学校を運営しているわけではありません。
東京シューレは成り立ちがそもそも子どものニーズから出発しています。
だから、運営も子どものニーズに合わせて柔軟にすり合わせることが自然とできているのだと思います。
保護者会も毎月あって、保護者もフリースクールでの子どもの育ちをバックアップするように関わっています。
そのほかについては、ご興味があればホームページなどをのぞいてみてくださいね。
このあと意見交換の時間に移りました。
となりの方と「感想」と「質問」を伝え合うスタイルだったのですが、わたしのおとなりさんだったSさんが面白いことをおっしゃっていました。
Sさんの中学時代、男子は丸刈りを強制させられていたそうです。
そう聞くと、「ザ・管理教育」でさぞかし暗黒の中学時代……を連想したくなるのですが、さにあらず。
先生は、言うべきときはビシッと言うけれど、あまり重要ではないことについてはうるさく言わない。
なにより、ちゃんと話ができる関係だったということでした。
「だから、中学時代は楽しかったというふうに記憶しているんです」と。
形だけで決まるわけではない好例です。
丸刈り強制はいただけないけれど、いい中学時代を送られたことは本当によかったなーと感じました。
Sさんからはこんな質問が。
「大人が重要なんじゃないかと思うんですが、シューレでは大人のスタッフはどんなふうに子どもと接するように心がけているんですか?」
野村さんの答えは、「対等であるということです」。
といっても、すべての子どもに同じ対応をするという意味ではなく、その子やその時の状況で変化していくものという前提のようです。
その子がどう感じているか? どう考えているか? にフォーカスしていく。
あとは、子どものことを信じて接する。
例えばある子が「勉強したい」と言い出したとします。
このとき、言葉だけをとらえるのではなく、どういう気持ちからその言葉が出ているかを見るのだそうです。
本人が心からそう望んでいるのであれば、いざ勉強をはじめてもスムーズに進みます。
しかし、実は親から勉強するように言われているとか、本人の焦りの気持ちから発せられているとしたら、なかなかうまくいかないそうです。
こんなふうに接してくれたら、子どもは安心できますよね。
大人のわたしでも、こんなふうに接してもらえたら、すごくうれしいです。
私からはこんな質問をしました。
「シューレでもいじめが起きることはあるんですか?」
あります。
「バカ」「死ね」と言われた。
関係が悪化して嫌いになる。
ゲームの貸し借りでもみ合いになる……
シューレには、常に新しい子が入ってくるし、いろんな子がいる。
だから、トラブルはあって当たり前という前提で考えています。
大事なのは、どうフォローするか。
当事者たちととことん話し合うのはもちろんですが、その場にいた目撃者もフォローします。
その場、もしくは帰宅後に電話をして「だいじょうぶ? イヤな気持ちにならなかった?」というようにフォローするそうです。
この、目撃者へのフォローというのは、言われてみれば確かにという視点でした。
東京シューレの映像を見て真っ先に感じたのは、「これが公教育のスタンダードになればいいのに」ということです。
子どもにフリーハンドでやらせることへの不安感は強いです。
かく言うわたしも、そこからまだ完全に自由にはなっていません。
東京シューレであっても、「今の自分には合わない」と去っていく子どもは当然います。
ユートピアはどこにもないし、だれもがOKという場もありえない。
でも、軍隊式の発想や慣習がいまだ残り、集団行動を第一に課せられる学校よりは、ずっといいんじゃないでしょうか。
学校は、基本的に管理教育です。
その根っこにあるのは
・子どもは不完全な存在だから教え導かなければならない
・自由にさせると何をするかわからない
という「不安感」「不信感」です。
これじゃ、うまくやるのはかなり難しいですよね。
大人も「不安」や「不信」に根差した人間関係や組織がうまくいかないことはよく知っているはず。
子どもだって同じです。
そもそも論で言ってしまうと、学びの場が、今のような「学校」という形式しか社会的に認められていないことがいちばんの問題だと感じています。
通学式、通信式、家庭学習式、寺子屋式など、いろんな形式がフラットに並列しているといいですよね。
「整体」という言葉を作った野口晴哉は、「その人の内からの欲求で『やりたい』と思ったこと以外は、本当には身につかない」という趣旨の言葉を残していますが、何かを身に着けるには、内からの欲求を無視してはできないとわたしも感じています。
長くなってきたので、残りは次回に持ち越しです。
次は、ほかの質問を紹介します。
当事者や関係者に役立つ内容なので、ぜひご覧ください。
(つづく)