まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族でオルタナティブを模索中

被害者や声を上げる人がウザがられる理由

先日投稿したこちら。

 

futoko.hatenablog.jp

 

 

おっと、引っ張るねぇ~~。

 

 

Facebookにリンクしておいたところ、いろんな方がコメントを書き込んでくださいました。

 

どのコメントも励みになるものばかりでしたが(ありがとうございます)、中でも唸らされたのが友人Sさんのコメントでした。

 

 

 

 Sさん

「リンクされている中傷記事読んで、印象に残るのはぎょごさんのことよりも、高給取りに対するルサンチマンがすごい、ってことのほうで…。「こそこそと裏で裁判」ってあるけど、裁判はむしろ公のものだし! 確かに、これは試金石になるかもしれませんね。どちらに非があるかということよりも、面倒くさいことに巻き込まれているというだけで倦厭しとけ、っていう感覚なんじゃないかな?これこそが、被害に遭った人に泣き寝入りをさせがちな日本の空気感なのかも。」

 

gyogo

(中略)

そうなんだよね、裁判なんか起こしやがってというニュアンスがすごくある。それゆえ実名晒されたわけでもあります…。裁判起こすって正当な権利の行使であって、それ以上でもそれ以下でもないんだけどね。裁判になるくらい人と揉めてる→当人にも問題あるんじゃないか的な思考回路かな。

(中略)

社長の思考回路はまさに被害者を見放す方向に働きましたね。客商売だからと言えば聞こえはいいけれど、要はめんどくさいことには巻き込まれたくないというだけで。悲しかったけど、すごく既視感ありましたね」

 

Sさん 

「(中略)

一般に、改善要求したり声を上げたりして面倒くさい奴だと敬遠されるデメリットと天秤にかけて、困ったことがあると静かに辞めていく人が多いんだと思う…」

 

gyogo 

「(中略)

静かに辞めていく人が多い、わかります。波風立たないからね。職場の場合、めんどくさい奴と思われても貫き通す『甲斐』があるのか、が分かれ目かも。そう考えると、そこまでする甲斐はないかな……という結論になりがちなのかもしれない」

 

 

 

被害者や声を上げる人がなぜ敬遠され、うっとうしがられ、バッシングに遭うのでしょうか。

 

今も、準強姦被害を実名と顔を出して公表した女性が、ものすごいバッシングに遭っています。

被害者を傷つける鉄板ワードがそれはもう満載で、今は本当に2017年なのか? と疑いたくなるほどです。

 

こういうときわたしがいつも思うのは、

 

おのれのキャパを超える事態に遭遇すると、
人はあらゆる手をつかって「なかったこと」にしたくなる

 

ということです。

 

このことについて、ひとつ忘れられないことがあります。

 

わたしが編集者だったとき、実父から性虐待を受けた女性の本を担当したことがあります。

彼女は性虐待が原因でさまざまな症状に見舞われ、学校にも行けなくなりました。

 

何軒もの病院や児童精神科医を回ったそうです。

でも、なぜ彼女がそうなっているのか、だれひとり見抜けなかったそうです。

 

専門家がよってたかって見抜けないんなんて、どうして?

 

その疑問を、わたしは彼女のカウンセラーにぶつけました。

 

そこでわかったのは「見抜けなかったのではなく、見抜かなかった」ということでした。

 

おそらく、目の前にいる子どもが虐待に遭っているということを認めたくなかったのだと思います。

もし虐待に遭っているとして、そのあと関係者全員を待ち構えているのは、あらゆる意味でハードな現実です。

関わりたくない、と思ってしまう心の動きは、あくまで是とはしませんが、あり得るでしょう。

 

こういう心の動きを心理学の用語で「否認」ということを、彼女から教えてもらいました。

認めてしまうと不安や不快感をおぼえるから現実を無意識に無視してしまう心の動きです。

 

被害者や声を上げる人に寄り添い、サポートする第一歩は、

この「否認」を意識するところからだと感じています。