まだ学校で消耗してるの?

2017年5月より小2長男・脱学校につき、家族でオルタナティブを模索中

親の学校歴をさらす! その2

 

f:id:gyogo:20170606152955j:plain

写真:夫2歳のころの写真。かわいい~。お父さん、男前だな。 

 

 

親の学校歴をさらす!

 

今度は夫の番です。

 

えー、夫はですね、勉強がよくできる子でした。

放っておいてもできる子だったんです。

たまにいますよね、そういう人。

 

なので、いわゆる高学歴な人です。

 

そのまんま書くと嫌味にしか見えない恐れがあるので、
みなさまの声を代弁してわたくしのツッコミをところどころで入れていきたいと思います。

 

《》内がgyogoの心の声です。

 

 

*********************************

 

 

夫(どびさん)は1967年に愛知県一宮市(当時は木曽川町)で生まれ、今年50歳です。

・小学校から高校まで公立、大学は国立

・入試は高校と大学。一般入試のみ

 

 

 

――学校にあがる前は、どんな子どもだったの?

 

 子どもの頃は言葉が遅くてぼおっとしていたので、
母は「この子だいじょうぶかしら?」と少し心配していたみたいだね。
ぼくが大人になってから、母がそう打ち明けてくれたな。

 

生まれたときは体が大きかったけど、思春期まで小さかったんだよ。

そんなこともあって「自分は出来が悪い」と思っていたな。


通っていた幼稚園は子どもに熱心に勉強をさせる方針だったから、合わなくて。

よく仮病をつかって休んでいたね。

まあ、仮病とわかっていてあっさり休ませてくれる親だったのは幸いだった。
《やっぱりいいお母さんや……》

  

 

――小学校では、1年生の1学期にいきなり転校したんだって?

 

そうそう。

持ち家を買うことになって、瀬戸市に引っ越したんだ。

山を切り開いた大規模団地で、ちょっと行くと山なんだよね。

よく遊んだなー。

 

瀬戸は名前の通り「瀬戸物」で有名だから、掘ればどこでも粘土が出てたよ。

小学校の図画工作の時間も、何かっていうと粘土細工だったよ(笑)。

 

 

――勉強はできたの?

  

勉強は放っておいてもできて、小学校ではクラスの上位1割くらいだったかな。

幼稚園のころは「自分は出来が悪い」と思っていたけれど、小学校以降はそう思ったことはない。

《自分でそう言いきれるのはすごいな》

 

 

――そしてまた、一宮に戻ったんだよね。

 

うん。

瀬戸市には中学2年生の12月までいたんだけど、結局一宮に戻ることになったんだよね。

そのころ、飼い犬が立て続けに2匹亡くなって、母がすごく意気消沈していていね。

《お母さん、今でも犬2匹に猫2~3匹飼ってるもんね》

一宮にいた昔から親しかった人の近所に建売住宅ができたのを聞いて、母がどうしても引っ越したいと言って、引っ越すことになったんだ。

 

 

――中学校のときは、どうだったの?

 

中学校のときは、勉強の成績は約300人の中で常時20位には入っていたよ。

まともに試験勉強をしたことはなくて「おれはまだ本気出してないだけ」と思っていたな(笑)。

 

一度は1番になろうと奮起して、2週間前から準備して、そのときはきっちり1番を取ったよ。
《いやあ、狙って1番取れるってスゲエな……》

 

転校もしていたし、校内暴力も盛んだったから、
いじめの標的にされやすかったんじゃないかと思うんだけど、いじめられたことはなかったな。

 

転校したときに隣の席にいたM君が、
「おれ番長だから、何かあったら言ってこいよ!」って言われたからかな?

でも、どう見てもM君がいちばん強いようには見えなかったけど(笑)。

もっとスゴイのがいたからなー。

M君はいいやつだったよ。

 

不良だらけだったけど、不良は不良の世界で生きていて、棲み分けができてたんだよね。

 

運動神経はめちゃめちゃいいけど勉強できないI君は、毎日宿題の答えを聞いてきてたよ。

ちょうどぼくが宿題終わるころに、電話かかってくるんだよ。

I君もいいやつだったな。

 

 

――塾は通っていたの?

  

小学校6年生のときは、生徒が何人か集まるところに先生が来て教える、
塾と家庭教師の中間みたいなスタイルで受けていたな。

 

中学のときは進研ゼミ。通信添削ね。当時、すごく流行っていたんだよ。

でも、まじめにはやっていなかった。

 

 

――高校は進学校に行ったんだよね。

 

うん。

本当は名古屋の千種高校か旭丘高校の学校群に行きたかったんだけど、通学が大変だと父に説得されて(父は旭丘高校卒)、一宮の学校群で受験して一宮西高校に入ったよ。

 

高校では弓道部に入ったんだけど、冬の寒さに耐えられなくて1年生の冬にやめた。

 

 

――で、帰宅部に。

  

そう。

愛知県は管理教育で有名だったんだけど、進学校は生徒のエリート意識をくすぐりたいのか、わりと自由だったんだよね。

《ほほう。そういうもんか》

 

弓道部をやめてからは、帰宅部仲間と喫茶店に寄っておしゃべりしてたよ。

文武両道な優等生をくさすような生徒だったな。

《わたしの実家には喫茶店すらなかったわ……》

 

今思うとくだらないけど、話の合う友だちと好きなようにしゃべる時間は楽しかったよ。

 

 

――高校でもやっぱり塾は行かず?

  

冬期講習みたいな特別講習くらいしか行かなかった。

夜は8時頃には寝ていたな。

《マジか! そういえば大学時代は教育テレビの「にこにこぷん」見てたって言ってたな……》

 

 

――それで東京大学に現役で受かるんだから、すごいよね。

 

文学部だけどね。

《いやいや十分ですよ……》

それに、東大には毎年3000人入学するんだよ?

10年で3万人。

倍率だって3倍くらいなんだよ。

《注:センター試験(当時は共通一次)で足切り後の倍率です》

ほら、ぜんぜん希少種じゃないでしょ?

《まあ、わたしのまわりにはいませんでしたけどね……》

 

模試では良くてC判定しか出たことなかったんだけどね。

 

高校でも、約300人の中で20位には入っていて、なおかつ一宮西高校は毎年1~2人は東大に行っていたから、がんばれば行けるかなと思っていたね。

 

 

――なんで東京大学にしたの?

  

曽野綾子さんの小説『太郎物語』の主人公が文化人類学を勉強していて、それに憧れたんだよね。

当時、文化人類学をやっていたのは東京大学埼玉大学南山大学、あといくつかの大学しかなかった。

単純に東京に行きたかったのもあるし、私立大学は経済的に無理だったからね。

それで東京大学にしたよ。

 

まあ、名古屋大学に行ってほしかった親からは、東京大学でも「金がかかる」ってぶうぶう言われたけど。

《地方だと、まあ、そういうもんだよね》

 

 

――勉強もできたし、素行も悪くないし、理想的な生徒だったんだね。

  

途中から部活をやめたから素行は良くはないよ。

言うこと聞かない生徒だったし。

秋になると学校の近所で柿を盗んで食べて叱られてたナ(笑)。当時、仲間内でブームだったの。

《柿ドロボーの高校生が東大かー……》

 

教師からは「東大はお前には絶対受からないからヤメロ」ってずっと言われていたな。

 

学校は、高校に上がるまではずっと「行きたくない」と思っていたなー。

高校に上がって話の合う友だちができてようやく、学校は楽しいと思えるようになったくらいで。

 

ぼくは「決まったところに行くとなると、途端に行きたくなくなる」病があってね。

今もそうで、約束して外の人と会うのがあまり得意じゃない。

もちろん、会えば楽しいんだけどね。

 

そんなわけで、集団生活にはとにかくなじめない、しらける、というのは幼いころから一貫しているねー。

 

*********************************

 

 

わたしと夫は9歳離れているので、ジェネレーション・ギャップを感じる場面もありました。

不良の話とか、共通一次とか。(わたしのときはもうセンター試験だった)

 

夫は、勉強もできるけど、地頭もいいなと日ごろから接していて感じています。

「勉強については、わからない人の気持ちがわからない」夫にとっては、長男に勉強を教えることは、かなりの難物だと思われます。
でも、だからこそ、ホームエデュケーションにやりがいを見出しているのかなとも思います。