東京シューレの方の話を聞いてきたよ!<中編>
写真:「東京シューレ」のパンフレット。33年の蓄積はすごいですねー。
前編から続きます。
33年続く東京シューレの活動はいろいろです。
・フリースクールが3か所(東京都王子、新宿、千葉県流山)
・札幌の高校と提携した高校コース
・ホームシューレ
・シューレ大学
・東京シューレ葛飾中学校
フリースクールは、ビル1棟、もしくはビルの一室を借りて運営しています。
6~20歳が対象で、初等部、中等部、高等部と分かれていて、それぞれに、プログラムもありつつ、個々人でやりたいことをやるというスタイルです。
進学へのサポートもあります。
「自己決定」という自由を尊重して、それに伴う責任も学んでいこうと明言しています。
当然ですが私服で、ピアスをしている小学生の女の子が印象的でした。
日本だとまだ違和感が強いかな?
でも、本来、何を身に着けるかは自由なはず。
そういうことにも気づかされる映像でした。
週1回、子どもとスタッフがミーティングをしている姿がいいなーと感じました。
学校にも生徒会とか児童会とかありますが、正直かたちだけですよね。
子どもと大人が対等に学校を運営しているわけではありません。
東京シューレは成り立ちがそもそも子どものニーズから出発しています。
だから、運営も子どものニーズに合わせて柔軟にすり合わせることが自然とできているのだと思います。
保護者会も毎月あって、保護者もフリースクールでの子どもの育ちをバックアップするように関わっています。
そのほかについては、ご興味があればホームページなどをのぞいてみてくださいね。
このあと意見交換の時間に移りました。
となりの方と「感想」と「質問」を伝え合うスタイルだったのですが、わたしのおとなりさんだったSさんが面白いことをおっしゃっていました。
Sさんの中学時代、男子は丸刈りを強制させられていたそうです。
そう聞くと、「ザ・管理教育」でさぞかし暗黒の中学時代……を連想したくなるのですが、さにあらず。
先生は、言うべきときはビシッと言うけれど、あまり重要ではないことについてはうるさく言わない。
なにより、ちゃんと話ができる関係だったということでした。
「だから、中学時代は楽しかったというふうに記憶しているんです」と。
形だけで決まるわけではない好例です。
丸刈り強制はいただけないけれど、いい中学時代を送られたことは本当によかったなーと感じました。
Sさんからはこんな質問が。
「大人が重要なんじゃないかと思うんですが、シューレでは大人のスタッフはどんなふうに子どもと接するように心がけているんですか?」
野村さんの答えは、「対等であるということです」。
といっても、すべての子どもに同じ対応をするという意味ではなく、その子やその時の状況で変化していくものという前提のようです。
その子がどう感じているか? どう考えているか? にフォーカスしていく。
あとは、子どものことを信じて接する。
例えばある子が「勉強したい」と言い出したとします。
このとき、言葉だけをとらえるのではなく、どういう気持ちからその言葉が出ているかを見るのだそうです。
本人が心からそう望んでいるのであれば、いざ勉強をはじめてもスムーズに進みます。
しかし、実は親から勉強するように言われているとか、本人の焦りの気持ちから発せられているとしたら、なかなかうまくいかないそうです。
こんなふうに接してくれたら、子どもは安心できますよね。
大人のわたしでも、こんなふうに接してもらえたら、すごくうれしいです。
私からはこんな質問をしました。
「シューレでもいじめが起きることはあるんですか?」
あります。
「バカ」「死ね」と言われた。
関係が悪化して嫌いになる。
ゲームの貸し借りでもみ合いになる……
シューレには、常に新しい子が入ってくるし、いろんな子がいる。
だから、トラブルはあって当たり前という前提で考えています。
大事なのは、どうフォローするか。
当事者たちととことん話し合うのはもちろんですが、その場にいた目撃者もフォローします。
その場、もしくは帰宅後に電話をして「だいじょうぶ? イヤな気持ちにならなかった?」というようにフォローするそうです。
この、目撃者へのフォローというのは、言われてみれば確かにという視点でした。
東京シューレの映像を見て真っ先に感じたのは、「これが公教育のスタンダードになればいいのに」ということです。
子どもにフリーハンドでやらせることへの不安感は強いです。
かく言うわたしも、そこからまだ完全に自由にはなっていません。
東京シューレであっても、「今の自分には合わない」と去っていく子どもは当然います。
ユートピアはどこにもないし、だれもがOKという場もありえない。
でも、軍隊式の発想や慣習がいまだ残り、集団行動を第一に課せられる学校よりは、ずっといいんじゃないでしょうか。
学校は、基本的に管理教育です。
その根っこにあるのは
・子どもは不完全な存在だから教え導かなければならない
・自由にさせると何をするかわからない
という「不安感」「不信感」です。
これじゃ、うまくやるのはかなり難しいですよね。
大人も「不安」や「不信」に根差した人間関係や組織がうまくいかないことはよく知っているはず。
子どもだって同じです。
そもそも論で言ってしまうと、学びの場が、今のような「学校」という形式しか社会的に認められていないことがいちばんの問題だと感じています。
通学式、通信式、家庭学習式、寺子屋式など、いろんな形式がフラットに並列しているといいですよね。
「整体」という言葉を作った野口晴哉は、「その人の内からの欲求で『やりたい』と思ったこと以外は、本当には身につかない」という趣旨の言葉を残していますが、何かを身に着けるには、内からの欲求を無視してはできないとわたしも感じています。
長くなってきたので、残りは次回に持ち越しです。
次は、ほかの質問を紹介します。
当事者や関係者に役立つ内容なので、ぜひご覧ください。
(つづく)
東京シューレの方の話を聞いてきたよ!<前編>
写真:今回行ってきた「第14回 こども笑顔ミーティング」の様子。誘ってくれたHさん、ありがとう!
この週末、6月25日(日)は長男とふたりで上京していました。
この講演会に参加したかったからです。
わたしひとりで行くつもりだったのですが、長男も東京のお友だちに会いたい! というので、いっしょに出かけて、講演会の間はお友だちの家で預かってもらうことにしました。
「こども笑顔ミーティング」は大田区で八百屋「だんだん」と子ども食堂をやっていらっしゃる近藤博子さんが代表をつとめておられる、子どもを支える活動をしているグループです。
近藤さんは子ども食堂でかなり有名な方のようですね。
今回は、フリースクールで30年以上の実績がある「東京シューレ」スタッフの野村芳美さんがお話しになるということで、ぜひ行ってみたいと思ったのでした。
結論からいうと……本当に行ってよかった!
・まず、不登校について全体的なお話が聞けたこと。
・ポイントを押さえて聞けたこと。
・さらに、意見交換で考察が深まったこと。
なにより、当事者でなくとも、不登校に関心を持って、真剣に考えている人がいることがうれしかったです。
(いつもより参加者が多かったようですよ)
お話しくださった野村さんは50代で、事実婚のパートナーと22歳と15歳のお子さんと暮らしています。お子さんは2人ともシューレの会員で、野村さんもシューレのスタッフとなって26年のベテランだそうです。
不登校は「治す」対象だった!?
野村さんが初めてシューレに足を踏み入れたとき、子どもたちがとてもエネルギッシュなのが印象的だったそうです。
でもそれはシューレだからで、多くの不登校の当事者は苦しんでいることを後から知るようになります。
子どもの不登校から、親子心中を考えるほど思い詰める方も少なくないそうです。特に、地方でその傾向が強いとか。
では、その「思い詰める」気持ちがどこから来るかというと、不登校に対する社会の捉え方が「否定的」だから。
不登校は1970年代後半から増え始めました。
高学歴化から競争や管理に重きをおいた教育に拍車がかかり、学校に通うのが苦しく感じる子どもが増えていきます。
当時は「個人の責任」とされていて「学校恐怖症」などと呼ばれていたようですね。
だから「病気」「怠け」「弱い子」「子育ての失敗」と烙印を押され、親も子も委縮して絶望する……ということが多かったようです。
不登校は「治す」対象とみなされていたのです。
また、ひとつ注意したいのは、不登校当事者の人数です。
今は文科省のデータとしては12万人前後で推移していますが、これは不登校の定義に当てはまっている子どもだけです。
「年間30日以上欠席している」というアレです。
フリースクールや保健室登校は出席にカウントされるので、対象外です。
だから、実際はもっと多いのではないかというのが専門家の見立てです。
なんだか、保育園の待機児童数の話と似ていますよね。
当事者だって黙っちゃいないよ
「不登校は、本当に怠けとか病気なのか?」と考えるようになった親たちが、学校に無理矢理戻すのではなく、子どもを受け止める方向に舵を切り、親の会を作って勉強・情報交換をはじめます。
また、当事者である子どもたちも声をあげはじめます。
行政側が行うアンケートは学校が回答しています。
不登校の原因を「病気」「怠け」など子ども本人に帰していることに違和感を感じた当事者たちが、1989年に「登校拒否の子どもによる登校拒否アンケート」を実施します。
1998年には当事者主体のメディア「不登校新聞」が創刊されます。
そして2009年には「不登校の子どもの権利宣言」が起草されます。
これは日本も批准している「子どもの権利条約」がヒントになっているようです。
「子どもの権利条約」に関わった大人たちから「君たちは学校に行けるだけ幸せだ」と言われたことに違和感をおぼえた当事者たちが、「だったら不登校の子どもの権利をうたったものがあってもいいはず」と考えたそうです。
夏休み中、これを作るために費やし、法律的にも問題がないかどうか、専門家にも意見をもとめる念の入れようだったそうです。
(この権利宣言が、のちの「教育機会確保法」にもつながったそうですよ)
国や行政はカメの歩み?
1983年に「子どもの健全育成をめぐる諸問題」で「子どもの性格が問題、親の養育が問題」として登校拒否が扱われたそうです。
しかし、不登校の原因が見事にばらばらで、正反対の要素でも起きることがわかってきて、「登校拒否は誰にでも起こりうる」という見解に変わっていきます。
2000年代には、「ただ見守るのではなく働きかけよう」という動きが出てきたことで揺り戻しもあったようです。
働きかけるというのは「学校に戻す」「フリースクールも出席とカウントする」ということです。
学校に戻る、フリースクールに通う以外の選択肢が排除される傾向になり、当事者で苦しい思いをした人がかなりいたと思われます。
ちなみに、不登校の子どもの居場所として圧倒的に多いのは「家庭」です。フリースクールや中間教室などに通っている子はとても少ないのです。
2016年になってようやく「不登校を問題行動と判断してはならない」「学校に登校するという結果のみを目標とするのではない」という見解が示されました。
(昨年ですよ、昨年!)
フリースクールについては、法律こそ未整備なものの、学校の重要なオルタナティブとして位置づけられるようになってきました。
さらに「教育機会確保法」により、「不登校児童生徒の休養の必要性」が認められるところまで来ています。
何十年も変わらない悩み
行政の歩みが遅いか早いかは見解の分かれるところですが、当事者や関係者となって初めて東京シューレに相談に訪れる人の悩みは、もう何十年も変わらない、と野村さんは言います。
不登校への潜在的な恐怖心、忌避感はここまで強いということですね。
東京シューレは理念ありきではなく、子どもと試行錯誤しながら作ってきたそうです。
そこでたどり着いたのが
・安心できる居場所である
・やりたいことを応援する
・自分で決める、自分が決める
・違いを尊重する
の4点だそうです。
学校によくある校訓や目標とはずいぶん違いますよね。
このあと、東京シューレを紹介する映像を見て、意見交換に移りました。
(つづく)
ジブリの世界みたいな里山で遊んできたよ
写真:「地球クラブ」はこーんな山の中にあります。
※内容に不正確な点等があったため、一部修正しています。なお、この敷地は私有地ですので勝手に立ち入ることはできません。地権者および「地球クラブ」の会員に限って使用されるフィールドです
「子どもが学校をやめたよー」と話をしたら、とあるお友だちがこんなところを紹介してくれました。
青木村には「地球クラブ」という、乳幼児からお年寄りまで、さまざまな年代が集まって、里山でいろんな体験をする団体があります。
参加者は村内にとどまらず、上田市などからも来ているそうです。
青木村のとある場所にあるのですが、途中からは車1台がやっとという細い道に入っていきます。
なんだか『千と千尋の神隠し』みたい……。
とつじょ、縄文人の住居みたいなものが見えてきます。
そこが「地球クラブ」のフィールド「ふくろうの里」なのです。
立派な木造の小屋と、竪穴式住居が建っています。
大きな木が何本ものびのびと枝をひろげ、池もあるし、『バムとケロの森の小屋』をもっと素朴にしたような高床式の小屋もあるし、五右衛門風呂もあるし、ブランコもあるし、畑もあるし、実のなる木もあるし!
(今回は、グミの実と桑の実が食べごろでした)
これはすごい……。
『となりのトトロ』の世界みたい!
くるみの木からさがっているブランコ。最高に気持ちいい!
有機栽培の畑。こちらは「地球クラブ」のメンバーが植えているそうです。うちの畑よか立派ですよ。
カブトムシの、もうすぐ成虫になるヒトたち。本当は掘ってはいけないそうなんですが……子どもの好奇心のためにごめんなさい。
「オレはゲームとかユーチューブが好きだ」と言っていた人がパンツ一丁で池にみずから入りました。
濁っていて中がよくわからない池に入れるだけで尊敬しますよ。
畑のそばで、おがくずなどを積んでいたところには、カブトムシの幼虫が大量発生。
少し掘り起こして様子を観察しました。
カブトムシの幼虫は、自分用の丸いスペースを作るんですね。
それがまたきれいな卵型で、きめのこまかい陶芸用の土みたいにすべすべなんです。
ちょっと掘り崩しただけで、このスペースがたくさんあるのがわかります。
なるべく傷つけないように観察して、埋め戻しました。
(本当は幼虫のスペースを守るために、掘り起こすこと自体やらないほうがいいそうです。カブトムシさんたち、ごめんなさい……)
そのあとは、ブランコをこいだり、池を観察、池に入る、沢ガニを見つける、初物のきゅうりを収穫など、好奇心のおもむくままに活動しました。
「おれ、ほんとは行きたくねーんだよなー。『コロコロチャンネル』見たいんだよなー」と言っていた長男は、パンツ一丁で遊んでいました。
そのパンツも池でびしょ濡れ、最後はノーパンでズボンをはいていました。
(「着替え? イラネー」って言ってたのダレだ)
地球クラブができたのが1995年(わたしが高校を卒業した年!)ですから、もう22年続いているんですね。
最初は別の場所で活動して、青木村に拠点を移したそうです。
何もなかったであろう里山に、こつこつ手を入れて、ここまで気持ちのいいフィールドを作ってこられたことに、心を揺さぶられました。
来年度からはここで「森のようちえん」がはじまる、かも?
(現在、園児募集中のようですが、集まり具合によって開園時期が変わるかもしれないそうです)
朝、青木の道の駅に集合して、歩いてフィールドまで行くそうですよ。
なんてすてき!
うちの双子も、こちらに通わせようかな?
長男はすっかり気に入ったようなので、「地球クラブ」の会員になることにしました。
ここでジブリ的世界の時間を過ごしたいと思います。
「ブルースカイ親の会」に行ってきたよ
写真:「ブルースカイ」の活動場所である、長野市の障害者福祉センター。調理室や体育館もあります。
不登校の当事者、保護者でつくる会「ブルースカイ(登校拒否を考える親と子の会)」に行ってきました。
「ブルースカイ」は平成2年設立ですから、もう27年活動を続けていることになります。
長野県内では古株なのではないでしょうか。
全国的な不登校ネットワークともつながりがあって、会報を出したり、イベントをしたり、積極的に活動を続けている印象です。
すでにお子さんが成人されている方も多く、たくさんの経験と知恵が蓄積している団体です。
とある方が、「ブルースカイ」で相談したところ、話をよく聞いてくれて、すぐに人を紹介してくれて本当に助かったと言っていました。
長野県で不登校支援の団体を調べていたときに、「ブルースカイ」の名前は真っ先に目にしていました。
そこで、一度行ってみたいと思っていたのです。
今回は、新しく来ていたのはわたしともうお一人でした。
気が付けば、こんなによくよく話を聞いてくれるのだと驚くほど時間をかけて話を聞いてくれて、似たような体験をされた方のお話も聞けました。
お子さんが3人いらして、ひとりは完全に不登校、ひとりは途中少し不登校、ひとりは学校に通いとおした、というふうにまったくちがう子育てを経験された方もいました。
以前に書いたように、わたしは今、「子どもを学校に戻せるようにしてほしい」とか「いじめを解決してほしい」とは考えていません。
ただ、
・学校から村の教育委員会へあがっている報告書を開示してほしい
・なぜ、証言の食い違いをそのままにして、解決を放棄したのか
・校長の態度がなぜ途中で変わってしまったのか
・担任はこの一件をどう考えているのか
・村の教育委員会としてはどう考えているのか
を知りたいと考えています。
同じようなことを考えて、学校 → 市の教育委員会 → 県の教育委員会に粘り強く要求を続けた方は、納得のいく回答が得られるまで数年かかったそうです。
回答が出るには出るのですが、満足のいく内容ではなく押し戻す……ということを繰り返さざるを得なかったのだとか。
行政相手ですから、途中で担当者が変わってしまうことも、なかなか満足いく対応が得られなかった要因だったのかもしれません。
最終的には、当時の県の教育長がかなり話のわかる方で、そのご家庭に対して「対応が悪かった」ことを認めて謝罪する文書を出したことで決着したそうです。
ここでもやはり「人」なんですね。
仕方のないこととわかってはいますが、それにしてもここまで対応が属人的だと「賭け」ですよね。
運が悪ければ、なかなか終わりの見えない闘いを強いられることになります。
ため息が出てしまいますよ。
また、スクールソーシャルワーカー(以下、SSW)の本来の機能、仕事内容も聞くことができました。
当事者それぞれに話を聞いて、問題を明確にし、調整しながら話し合いの場を設定して解決に導く手伝いをするなど、子どもを取り巻く環境に働きかけていくのがSSWの役割だそうです。
青木村のSSWは、すべてが終わってからはじめて出てきて、しかも仕事としては「社会資源の紹介」をするだけ。
本来の業務から考えると、きわめて限定的な動きしかしていないことがわかりました。
この親の会と同時刻に、同じセンターの別のフロアで子どもだけの集まりもやっていました。
子どもも親の会に出入りして話に入ってくることがあります。
不登校の当事者(子ども)の視点には、何度もうなずかされました。
お子さんとどう接していいか悩んでいる人には、ヒントになるかもしれません。
これも、この会のいいところだなーと感じました。
不登校は、本当に人それぞれなのだ、と当たり前のことをより強く実感して帰路につきました。
ひとりひとりが、知らない道、前人未到の道を切り拓いていく。
同じ道は、ひとつもない。
そんなイメージです。
わたしの大好きな星野源さんが「知らない」という歌をつくっています。
その歌に、こういう一節があります。
終わり その先に
長く長くつづく 知らない景色
さよならはまだ言わないで
物語つづく 絶望を連れて
不登校は、まさにこれ。
学校に行けなくなって人生終わったと思っても、その先にはまだ知らない景色が続いていく。
絶望は連れていくしかないけれど、でも自分の人生という物語は続いていくんじゃないかな……と。
(この曲は、幼い子どもを亡くした友人夫婦のために作られたようです)
そんなわけで、往復3時間かけて行った甲斐がありました。
来週は教育長とSSWとの面談です。
これまでの経緯と、こちらの望んでいることを文書にまとめなければ。
ため息を鼻息にかえて、がんばるとしますか!
不登校の子どもたち・親の集まりに行ってきたよ
写真:上田市創造館横の公園。アスレチックあり、芝生あり、木陰あり、東屋あり、幼い子向けの遊具ありで、かなり楽しめます。
料理ブログばかり更新していて、こちらと青木村ブログがずいぶんごぶさたになっておりました。
先週は、長男はいったん勉強はお休みして、好きなことをさせる1週間にしていました。
(夫の仕事が忙しかったこともあり)
ベイブレード、レゴ、ゲーム、デュエマ(カードゲーム)、外遊び、読書などを堪能しつつも、「退屈だー」とよく言っていました。
わたしは友人に誘ってもらい、上田やその周辺地域の不登校当事者、家族の集まりに行ってきました。
まずは、夜やっている母のおしゃべり会へ。
少人数で、特にテーマは決めず、お茶とお菓子でおしゃべりをします。
はじまって半年くらいだそうですが、半年前からくらべると、みなさんの雰囲気がだいぶ明るくなってきたそうです。
やはり、月1回であっても、安心して話せる場所があるのは大事なことなのだなぁ、としみじみ感じました。
お母さんが1人で奮闘しているケースもあるようで、それはそれでまた考える必要がある問題だと感じました。
日曜日の日中、子どもたちもいっしょに参加する集まりでは、体育館でバドミントンやビーチバレー、卓球などを思い思いにやりました。
やってもやらなくてもよし。
誘われてやる子もいれば、何もしない子もいます。
「やらなきゃいけない」という感じがないのが、とてもいいなーと感じました。
そのあとは、となりの公園でおしゃべり&おやつタイム。
「今度はどこに行く?」
「バーベキューなんてどう?」
など今後の構想が広がります。
大きい子どもたちはさすがに公園で遊ぶことはしていませんでしたが、うちの子どもたちは体育館でさんざん走り回ったあとなのに、さらに土まみれになって遊んでいました。
(おかげで、夜はよく寝てくれました)
長男と同い年の男の子もいて、同じようなテンションで交流していました。
小学校低学年の不登校当事者は少ないので、うれしい出会いです。
この会には、ホームエデュケーションで長らくやっていらっしゃる方もいて、その方から「ホームシューレ」の新しい体験記冊子をいただきました。
これ、ほしかったんですよ~。
うちがホームエデュケーションに興味を持ったきっかけが、この前の版だったのです。
20人ほどの不登校当事者・保護者の体験記がのっていました。
やはり、つながることは大きいですね。
家族で気を張ってやっていましたが、仲間はいないよりいたほうがいい。
心強いです。
いろんなケース、いろんな悩み、いろんな変化を知ることができます。
経験した者でなければわからないこともたくさんあります。
この集まりは、「みんなで仲良く」「わたしたちは仲間」みたいな同調圧力がなく、それぞれが出会う場として機能すればいいという雰囲気です。
主宰している方も「ちゃんとした会じゃないので」と言っていましたが、そこがいいなと感じました。
ほかにもいろんな会があって、「合う/合わない」があると思います。
そのときの自分に合う場所を見つけられるといいですよね。
というわけで、こちらの会にも顔を出しつつ、明日は長野市で30年以上活動を続けている「ブルースカイ 親の会」に行ってきます。
また、こちらでレポートあげますね。
「こどもSOSダイヤル」に電話してみたよ
画像:文部科学省のHPに相談窓口一覧があります。
長男が学校に行かなくなって1カ月が過ぎました。
その間、わたしも夫も、悲しみや怒りの波に繰り返し洗われています。
日頃は忘れているのですが、ふとしたときにやってくるのです。
保護者であるわれわれがここまで傷つくとは思ってもみませんでした。
発端が発端だったので戦闘モードになるしかなく、気を張っていた反動なのかもしれません。
学校の外へ出たことで得たものもたくさんあるけれど、
もう二度と戻れない、味わえないことがあるのも確かです。
「平凡な暮らし」の中にある「子どもが学校に通う」ことにまつわるあらゆることが、わたしたちの暮らしにはありません。
両方は選べない。
それは仕方のないことだし、だからといって学校へ通わせる気には到底なれないのだから、この道しかないという結論に毎度至るのですが。
こんなふうに、ときどきしょぼくれた気持ちになっています。
それから「どうしても知りたい」ことが日を追うごとにふくらんでいます。
・なぜ校長先生は証言の食い違いを解消しようとしなかったのか
・もっというと、当初の誠実かつスピード感のある対応がどうして失速してしまったのか
・担任は一連の経過をどう考えているのか
・学校から教育委員会にどのように報告がいっているのか
……はい、もうすでに保護者の心境ではないです。
ジャーナリスト的な「なぜ?」という気持ちです。
なんなら「自称ジャーナリスト」の肩書で取材したいくらいですよ。
もうひとつ、長男が大きくなって疑問を持ったとき、答えられるようにしておきたいということもあります。
わたしが長男だったら(という仮定はあまり意味がありませんが)、ゆくゆく振り返ったときに「どうして校長先生は、学校はぼくを助けてくれなかったんだろう?」と疑問に感じると思うのです。
先日、教育長とスクールソーシャルワーカーと面談して、村の教育委員会も機能していないことはわかったので、どうやったらわたしが知りたいことを知れるのだろうと思い、文科省の相談窓口に電話をしてみました。
「24時間こどもSOSダイヤル」です。
ひととおり話して出てきたアドバイスは
「学校に直接、そういったことを聞きたいと要望していただくしかないのでは」
予想はしていましたが、親身にサポートしてくれる窓口ではないんですね。
これはますます、取手市の教育委員会に文科省が直接指導したのはどういう経緯なのか、知りたいですね。
学校とやりとりするのはものすごく消耗するし、傷をえぐられるだけだからイヤだなぁ……というのが正直なところです。
今までの経緯から合理的に考えても、まともにやりとりできない可能性が高いだろうし。
なんで、いじめられたほうがこんなにがんばらないといけないんですかねー。
なんの罰ゲーム?
とりあえずは、文書にまとめて、次の教育長との面談のときに提示しようと思います。
村の教育委員会としてどう考えているのかも併せて聞きます。
続きはこのブログで書きます。
面談は6月27日。
括目して待たれよ!
嫌われてもいい、からの人を求める気持ち
写真:このブログを読んで、友人Nちゃんが白檀のお香を贈ってくれました。ほかにも、すてきな本を贈ってくれたり、その道の先達を紹介してくれた方もいます。 思いがけないことで、ほんとうに嬉しいです。大げさではなく、こういうときこそ、生きている甲斐があるというもの、と感じます。
この1か月の間に、いろんな発見や気づきがありました。
「あっ、わたしほんとうに、人に嫌われても構わないと思えるようになった」
という発見は、とても大きいものでした。
「人に嫌われたくない」一心で生きてきましたからねー。
おもしろいのが、一度「嫌われてもいい」と心底思えると、
・人とつながりたい
・人から認められたい
という気持ちが自分の中にあることを、はっきり感じられるようになったことです。
一見矛盾しているようにも見えるんですが、これらの思いはわたしのなかに矛盾せずに同居しています。
「人とつながっていたい」とか「人に認めてほしい」というのは、人がもつ、とても根源的な欲求です。
なんとなく、自分のなかでは、そういう気持ちには
・あさましい
・もの欲しそう
・甘えている
・貧乏くさい
という「ブレーキ」が働いていたように感じます。
ずいぶん厳しい「ブレーキ」で す ね……(苦笑)。
もちろん、今までもそういう気持ちがなかったわけではありません。
なかったら、いろいろまったく違うことになっていたはずなので。
でも、ここまではっきりと感じたことはなかった。
……で、だから何とか、だからどうってことはなくて、まったくもってただそれだけの話です。
まとまっていないですが、たまにはラフスケッチもいいだろうということでこのまま投稿してしまいます。
脱学校FAQ集 ~なんでも聞いて!~
写真:長男は、ここでよく外を見ながら読書したり、動画を見たり、ゲームをしたりしています。
「学校に行かせていません」
「家で勉強しています」
というと、みなさん不安そうな表情を浮かべられます。
学校へ行かないのは「極論」だと感じられるようです。
おそらく「学校へ行かない子ども」を身近に知らないからで、無理からぬことです。
ですので、今日はよくある質問(FAQ)に答えていきたいと思います。
ほかにもあれば、ぜひお寄せください。
どんな質問にも、包み隠さず答えます。
Q1. 学校に行かなくていいの?
A1. 行かなくても罰則などは一切ありません。
まず義務教育は「大人が子どもに教育を受けさせる義務」であって、
「子どもが教育を受けなければならない義務」ではありません。
教育は義務ではなく、権利です。
そして、その教育を受ける場が、学校(公教育)でなくてはならないとは規定されていません。
Q2. 学校に行かないと社会性が身につかないのでは?
A2. 社会性を身につける場はいくらでもあります。
そもそも「社会性を身につける」とはどういうことなのでしょうか。
集団生活に慣れること?
理不尽さとうまく付き合う術を身につけること?
誰とでも仲良くやっていくこと?
自分を抑えて、我慢強くなること?
だとするならば、社会性とはずいぶん貧相なものだと思います。
「学校=社会性を身につける場」という考えは、とても強いです。
学校では集団生活に重きを置いているから、その中で過ごすことで、社会に出て(という言い方もヘンですよね。誰しも生まれたときから社会の中にいるわけですから)荒波に揉まれても耐えられる人間になれる、ということでしょうか。
社会のなかで、どう身を置いていくか、またどう関わっていくかは、その人が決めることです。
外から「こうあるべき」と押し付けられるものではないはずです。
そう考えると、学校に行かないと社会性が身につかない、というのは思い込みに過ぎないと断言できます。
Q3. 転校やフリースクールじゃダメなの?
A3. 最初は考えました。
でも、長男が学校や学校的な場所を求めていないことがわかり、探すのはやめました。
転校しても公教育である以上教育方針は変わらないわけで、本質的な問題が解決するとは思えません。
これだけいじめが蔓延しており、学校や教育委員会の対応が問題視されている中で、
・またいじめに遭う可能性
・担任の先生(または学校長)によって対応が大きく違ってくる
といったことを考えると、これ以上学校に通わせるのは正直「ギャンブル」と同じだと思っています。
申し訳ありませんが、現状では、子どもを託す先としては不適切だというのがわたしたちの偽らざる気持ちです。
わたしたちが暮らしているエリアでは、小学校2年生でも通えるフリースクールは佐久まで行かないとありません。
車で片道1時間以上かかります。
以前からホームスクーリング(ホームエデュケーション)を知っていたこともあり、たまたま夫婦ともに在宅ワークという環境なので、決断は早かったです。
Q4. どうやって勉強をするの?
A4. 学校のカリキュラムは参考にせず、自分たちで考えて進めます。
年齢的には基礎学力をつける時期なのでそれはやりつつ、生活のなかに学びが詰まっているという目線で考えれば、なんでも勉強につながるし、だれもが先生になり得えます。
地球全体が、いや全宇宙が学校になりますよ!
本人の内からわき起こる「知りたい」という欲求をうまくとらえて、学びにつなげていきたいと考えています。
Q5. 子どもを家に閉じ込めるの?
A5. 閉じ込めもしないし、無理矢理連れ出すこともしません。
本人が行きたい場所があれば可能な限り連れていくし、わたしたち保護者の興味に付き合わせることもあります。いろんな人に会わせたいということは前から思っていたので、それは変わりません。
Q6. 友だちはいなくてだいじょうぶなの?
A6. 本人がどうしたいかによると思います。
いじめが発覚した当時は「もう青木村に友だちは作らない」と言っていました。
いじめそのものはもちろん、ほとんどのクラスメイトが助けてくれなかった、という絶望感が読み取れて、わたしと夫はかける言葉がありませんでした。それほど、つらかったのだと思います。
今は、近所に住むほかのクラスの子、学年の違う子と、夕方や休みの日に遊んでいます。
前からときどき遊んではいましたが、意地悪やイヤなことをしない関係性なので、自然と付き合いが続いているようです。
本人が望んでいればまた別なのでしょうが、友だちをもっと作りたいとは今のところ特に望んでいないようです。
わたしたちも、友だちは「数」ではないので、時間をかけて、自然と気の合う友だちが少しずつ増えていけば十分だと考えています。
「合わない人、イヤな人とも付き合えないとダメ」という考え方があるのは承知しています。
それが「自分を生かす我慢」だと本人が思っているのであれば、付き合えばよいと思います。
が、そういう関係は往々にして「自分を殺す我慢」ではないですか?
そういう「我慢」は、人生のあらゆる局面において一切しなくてよいと考えています。
Q7. 学校との関係はどうなるの?
A7. うちは原籍だけ残すかたちにしています。
学校を通じて配布されるお知らせ等については、今は週1回、教頭先生が持ってきてくださっています。
ですが、心苦しいですし、長男が先生方に会いたがらないので別の方法を相談したいと考えています。
PTAなどは脱退しています。
本人が学校に戻りたいと望めば、いつでもそのように動くつもりです。
不登校ってなんだ?
上:不登校児童数推移(文部科学省)。グラフは「家庭教師のジャンプHP」http://www.jump-japan.com/truancy/school-refusal-statistics.phpより引用
学校教育の総元締め、文部科学省によると
「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」
と定義されています。
ここから読み取れるのは、不登校の原因が生徒個人によるものと限定されていることです。
「社会的要因・背景」というところに、学校が原因であることも含まれていると強弁できなくもないですが、やはり違和感があります。
不登校に関係する調査として、「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」というものがあります。
2016年までで50回も続いている調査です。
この調査は、1966(昭和41)年度の「不登校」(注:当時は「学校ぎらい」と呼ばれていた!)に関する調査に端を発します。
不登校は日本の学校教育においてそれなりの歴史があるトピックであることがわかります。
とはいえ、公的にはずっと「問題行動」として扱われてきて、当事者からすると違和感・疎外感・隔靴掻痒(かっかそうよう)感だらけであることは、今も変わりません。
以下の記事に、その問題点が書かれています。
ぜひ読んでみてください。
不登校に対する世間のイメージは、まだまだネガティブです。
幸い我が家のケースでは
「子どもがいじめられて学校を休んでいる」
「学校をやめた」
と話したときに、
「それじゃダメ! 行かせないと!」
と言われることはありませんでした。
「休ませてあげて」
「今は別の道もあるから」
と声をかけてくださる方ばかりでした。
学校に通わせ続け、子どもが自らの命を絶つという事件が何度も報道され続けていることがあるのかもしれません。
日本の子どもの死因1位は「自殺」です。
(15~39歳において。10~14歳では「自殺」は3位。平成21年の厚生労働省のデータより)
つい最近も、茨城県取手市でいじめが原因で自殺した中学生について、取手市の教育委員会は「いじめの事実はなく、重大事態に該当しない」と言い続け、文科省からの指導で対応を180度改める、ということがありました。
大勢の犠牲の上でようやく、ということですから「人が死なないと変わらないのか」と苦々しい気持ちになるのが正直なところですが……。
もちろん、当事者や関係者のさまざまな活動も奏功して、見方が変わってきたこともあるでしょう。
亀の歩みかもしれませんが、確実に意識は変わってきていると感じています。
かくいうわたしですら、何も知らなかったときには不登校にネガティブなイメージを持っていたことを告白します。
不登校についてのニュース、当事者や専門家のインタビューなどを目にして、自分の考えを改めていきました。
ネットで「不登校 原因」と検索すると、
「問題行動」「いかに学校に戻すか」という観点が目立ちます。
それを見ていると、本人というよりは、保護者(大人)の不安が大きいように感じます。
学校に通わなくても、ぜんぜんだいじょうぶ。
当事者も関係者も、そしてそうでない人も、心からそう思えるようになってほしい。
その思いを燃料に、書いていきます。